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『吃音 伝えられないもどかしさ』(近藤雄生/新潮社)読書記録

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吃音関連書籍を読もうと検索していたとき、なるべくいろいろな視点、いろいろな著者のものを読みたいなと思っていたので、こちらの1冊も注文した。

インターネット上のレビューを見て、吃音当事者の子を育てている親のひとりとしては、気持ちが元気なときにじゃないと読めないような気がして、手元に届いてから本書を開くまで少し時間がかかった。

ただ実際に読んでみると、確かに扱っている内容は重たいのだが、必要以上に何かを煽るようなことはせず、淡々と事実を積み重ねてゆく語り口はむしろ、私には心地よく感じた。

あとがきのなかで、吃音当事者でもあった筆者が、この本の取材に着手したタイミングについて「吃音が自分にとって密接な問題でありながらも、ある程度の距離を保って語れる対象になったということである」と述べていた。当事者としての視点と冷静な視点を併せ持ち、取材を重ねて、ただ事実を綴ってくれることが、とても貴重だと思った。


本書は、複数の吃音当事者やその家族、専門家など多数の関係者へ数年をかけて取材を重ね、吃音当事者の人生について伝えるノンフィクションである。

今まで読んだどの吃音関連書籍よりも、「ノンフィクションである」という言葉がとてもしっくりと腹に落ちる感覚があった。

語られた言葉がある。起きている事実がある。それをとりまく状況がある。揺れ動く思いがある。そうした複数の要因による大きなうねりのようなドラマが、空想の物語ではなく重たい事実として、どすんとこの1冊のなかにある。読み終えたとき、そう感じた。

つまり、「いい話」として帰着しない。

本書でもたびたび語られている通り、吃音は実に「曖昧」だ。原因も治療法もはっきりとはわからないし、同じ人であっても症状が出るときや出ないときがはっきりと定義されるわけでもない。吃音当事者のなかでも、吃音をどう捉えているかは一人ひとり違う。

本書はそんな「曖昧」で「はっきりしない」吃音を、なにかの結論を無理に押し付けるのではなく、ひたすらに複数の人の人生を通して、読者に「はっきりしない」まま、ただそのはっきりしなさが伝わるようにまとめた形で届けてくれる。

本書を読み始める前、表紙に「吃音 伝えられないもどかしさ」というタイトルを目にしたとき、これはダブルミーニングかもしれないな、と感じた。

吃音当事者が、話し相手に、うまく言葉を伝えられないもどかしさ。そして、こうやって曖昧で、すべてはっきりと言い切れない吃音という事象を、本を通しても「こうなんです!」とすっきり打ち出すことはできない、もどかしさ。

解説のなかで重松清さんがまさに”本書は「伝えられないもどかしさを伝えられないもどかしさを、もどかしそうに伝える」ノンフィクションなのである”とおっしゃっていて、ああ!と、答え合わせをしたような気持ちになった。近藤さん、そのもどかしさ、伝わりました。


本書を読んでもうひとつ、新しく自分のなかにインプットされた視点としては、p227にあった「吃音は他者が介在する障害である」という点。

吃音は、通常一人でいるときには障害にはならない。ほとんど常に他者とのコミュニケーションに関連して生じる障害であると言える。

p227-228『吃音 伝えられないもどかしさ』(近藤雄生/新潮社)

これを読んだとき、ポジティブでもネガティブでもなく、ただ、そうだよなあ!と思った。

よく、障害は個人にあるのか社会にあるのか、という話があるけれど、吃音は特にそれがわかりやすいような気がする。確かに、一人で脳内で考えている分には彼や彼女は軽やかだろうし、たとえ独り言を言ったとしても、それに反応する他者がいなければ、障害自体が存在しないともいえるだろう。

一人のときに障害ではなくて、他者が存在するときにはじめてそれが障害になるのだとしたら、それはその一人と他者と、両方の問題なのではないだろうか?

吃音当事者、吃音当事者、と私も書いてしまっているけれど、当事者、というのは実は社会を構成するすべての一人ひとりなのではないだろうか?

そうやって考えていくと結局は、今の私にできる最も身近なことは、娘の生活圏の環境調整という部分に落ち着いてゆく。「他者」という当事者の問題である、「吃音を知らない」にアプローチすることが、同じく他者である私の役割のように思う。

本書では、社会人になって働き始めて、職場でさまざまな困難があった方々の話が複数紹介されていた。小学1年、この春から小学2年の吃音当事者の子を育てる親として(現在はクラスにカミングアウトもして友達や先生にも恵まれて楽しい学校生活を送れているが)、遠くない未来、子がどんな現実に直面するのか、その一片に触れたような気持ちでいる。

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もちろん、新しい風は各地で起きている。でも、自分で友人たちに「吃音って知ってる?」と個別に話したときの反応から考えると、それらは、まだまだ、足りていない。全然。子が吃音と確定する前の自分だってそうだった。

学校という、親がある程度関われるフィールドでは先生方とも連携をとりつつ、その先の、親から離れた世界でもこれほどまでに心を痛めることなく心も健やかに生きてほしいと思うのは、素直な親の感情だ。

p201 で、ある吃音当事者のお子さんをお持ちのお母さんが、吃音についてわかりやすく書いた手製の冊子をつくっていた、との記述があったが、その気持ちに行き着くことがとてもわかる。

私もまた自分なりに、吃音という事象に出会った自分の役割として、何らか吃音についての発信をしていけたらと思う。


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