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「ケのphoto」活動、やってみよう。

2022年12月28日

しばらく前のある夜、おふろに入りながら今年赤ちゃんが生まれた学生時代の友人のことを考えていた。今年は会えなかったなあ、来年こそは会いたいな。会って、彼女と赤ちゃんの写真をめいっぱい撮りたい。撮ってプレゼントしたい。

そんなことを考えていたら、突然頭のなかがうわわわあああっと過去の記憶を引きずり出しはじめて、数珠つなぎにいろんな点がつながって、ああそうだ、わたしはこれがやりたいし、これならすぐにできるじゃないか、と思うに至った。

お風呂から出て、まだ髪も濡れたままノートに構想を書き留める。

名前は考えていなくて、"いいやとりあえず今思いついたもので。後で変えよう”と思ってサッと書いた。それが「ケのphoto」。でも1日経って、もはやそれ以外にないくらい、ぴったりの名前だと思った。

わたしはよく、日常スナップ写真に関してだけは「自分みたいな友だちが身近にいたらいいのになあ」と思ってきた。

これは決して、わたしが超絶写真がうまいということではない。ただ、ちょっとだけいいカメラを所持していて、写真を撮ることがもともと好きで、ライター仕事の“一部”としては関わったりもしていて、特に日常を切りとるようなスナップ写真を撮影することに喜びを感じる人間で、日常(ケ)を撮るにはちょうどいい塩梅があるなあ、と感じていたというだけだ。

むしろ、ハレの日の撮影はプロのフォトグラファーさんじゃないと務まらないと思っている。自分がライターとして、プロのフォトグラファーさんと組んでお仕事をする機会もあるからこそ、「やっぱりプロはクオリティが違う!!」と実感しているし、「自分はその域にはいけないなあ…!」と畏敬の念を抱いている。

でも一方で、思った。ハレの日はプロにお任せするとして、逆に日常を、リーズナブルな価格で気軽に依頼できる「ケのphoto」グラファーとして、自分ってちょうどいいんじゃないか。

そこまで考えたとき、そう、そうだよ!と脳内の大歓声が巻き起こった。それで常々、「自分みたいな塩梅の友だちが身近にいたらいいのになあ」という思いを、くすぶらせ続けてきたじゃないか。

なぜって私はいつも、撮る側だったからだ。いや、基本はそれでいい、それがいいと思っている。撮られるより撮るほうが好きだし、落ち着く。基本性質として、裏方にいたほうが落ち着くタイプだ。

でも子が生まれて、その日に日に変わる成長を撮りまくるなかで、あるとき、アルバムを見返してショックを受けるのである。

「子どもと私の、いい写真がほとんどない……!!!」

子どものかわいい写真は山ほどある。夫と子のいい雰囲気の写真も、たくさんある。

手をつないでお散歩しているところや、海辺で遊んでいるところや、抱っこひもであやしているところや、公園で階段をのぼるのに付き添っているところや、一緒にすべり台すべるところや、外でごはんを食べて笑い合っているところや。

そういう、カメラ目線じゃない、日常の空気感を、ちょっといいカメラで切りとったような写真が、たくさん、ある。

でも自分には、そういう写真がほとんどない。なぜっていつも、わたしは「撮る側」だったからだ。

あまりに写真がないからと、子を抱っこひもに入れてスマホのセルフィーで撮った写真は、いくつかある。夫に「子とふたりで撮って」とこちらから頼んで撮った写真も、まあまあある。

でもそうじゃない、そうじゃないんだ本当は。一番は、「写真撮って」とこちらが言うまでもなく、子となにげなく過ぎていく日常のひとときを、ただ、切りとってほしい。願わくば、ちょっといい感じの雰囲気と、ちょっといい感じのカメラで。

そうだな、例えば、よちよち歩きの子と手をつないでお散歩している後ろ姿や、海辺で遊んでいるところや、抱っこひもで目をあわせてあやしているところや、公園で階段をのぼるのに付き添っているところや、一緒にすべり台すべるところや、外でごはんを食べて笑い合っているところや。

そういう日常の断片を、カメラ目線とかじゃない、「日常の空気感」をさりげなく切りとってほしいのよ。

それは、自分がいつも子と夫に対してやっていることだった。

そして思う。同じような思いをしている人、絶対いっぱいいるはずと。

性別は問わない。世の「いつもメインで撮影ばかりにまわりがちな親御さん」は、“自分”も含めた家族写真を撮ってもらうの、(きっと「撮られるの得意じゃないから〜」とはにかみながらも実際見てみたら)絶対うれしいはずだ、と。

そこまで考えたとき、そうか、それだ、と思った。

思えば日常「生活」は、ずっとわたしの中のテーマだった。

学生のときタイの農村にホームステイしたのも「観光じゃなく日常が知りたい」からだったし、会社をやめてフィジーで半年暮らしたのも「旅行じゃなく異文化圏で“住む”がしてみたい」からだった。

そのままオーストラリアへ飛んで都市で働いたのも「外国で“働く”を含めた日常生活がしてみたい」からで、その後半年ほど、田舎で農家さんを手伝いながら数週間〜1ヶ月スパンで滞在させてもらいつつ転々としたのも「その土地で暮らす家族の日常」に触れたかったからだ。

そうか、私は「日常」を撮る、をやりたいんだな。

そして経験上、自分じゃなかなか撮れない「自分と子との日常を撮ってほしい」と思う親は、きっとたくさんいるはずだ。

ハレとケでいうなら、「ハレ」の日はきっと、すでにプロに撮ってもらっている人が多い。私たちも七五三のお参りでは、出張フォトグラファーさんのサービスを利用してプロに撮影してもらった。

やっぱりプロは全然クオリティが違うし、立ち位置の指定などの声かけもうまいし、素敵な写真をたくさん撮ってもらって、依頼してよかったなあ!と思った。だからそれはそれであったほうがいいと思うし、そこと闘おうという気はさらさらない。むしろそういう「ハレ」を満足いくクオリティで撮る腕は、自分にはない。

そうじゃなくて、どちらかというと「子どもがブジュウッ!ってかじったスイカの汁をほっぺいっぱいにたらして、それを『もー!』って苦笑しながら拭き取ってる母と散らかったリビング」みたいなシーンを、わたしは撮りたい。そんな空間に居合わせるひとになりたい。

第三者が日常の空間にいると、子とも穏やかにいられるの、なんだろうね。例えばリビングでおもらしされたとして、親と子だけだと「あーもう!」ってなるのに、友だちとか普段いない人がいてその場を共有できると親も「わー笑笑 やられたんだけど!笑」ってネタとして昇華できるテンションになるの、なんだろう。

そういう第三者として使ってもらえる「ケのphotoグラファー」になってみたい。

クオリティはプロにいたらない分、リーズナブルな価格がいい。

そうだなあ、ちょっといいお店での飲み会1回分+交通費実費、くらいがいいかもしれない。0歳児を育てているとき、夫が「その日打ち上げがあるから」的な話をするのが心底うらやましかった。いや、わたしだって打ち上げたいわ!と。飲み会なんてめったにいくチャンスがないのだから、数千円を別のことに使ってもいいでしょ!って、依頼主さんが言いやすい感じにしたい。

とりあえずそのくらいから始めて、やってみて、持続可能かどうか、そこからまた考えよう。儲かりたいと思って始めることじゃないから利益は追究しなくていいけど、少なくとも細く長く続けていけるような持続可能な料金設定ではありたいから、無理そうなら変更するかもしれない。

遠方だと移動に時間がかかってほかの仕事に支障をきたしそうだから、なるべく近隣エリアを対象にしよう。最終的には自転車で行けるくらいの圏内がメインになると最高だなあ。

まずは小さく、やってみよう。やるなかで見えてくるもの、きっと多いから。

【追記】さっそく、モニターさんを募集するところからはじめようと思ってGoogleフォームなど作っていたら、奇しくも、修理依頼をしていた一眼レフが「部品の製造終了のため修理不能」で返ってきてしまった。

これはあれだな、心機一転、新しいカメラを買いなさい、という神からのお告げに違いない。ということで、ウンウン唸りながらリサーチを重ね、新しいカメラを発注したところです。そのカメラが手に馴染んできたころ、改めて始動したいなと思います。

【2023.6.16追記】新しいカメラが手に馴染んできたので、まずは手を広げすぎず、友人知人づてにゆるやか〜に活動をはじめています。

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