ビジネスホテルの朝食バイキング会場にはいろんなドラマがある、と思って生きている。
もちろんドラマはいつでもどこでも転がっているのだが、なんだろう、朝食という、出勤前やお出かけ前の、普段はプライベートな時間がいいのかもしれない。加えてビジネスホテルは単身者が多く、それぞれの日常を想像しづらいというのもまた、絶妙なのかもしれない。
一人ひとりが、なんらかの用事でここにいて、なにかを秘めていて、しかしその瞬間はとても動物的に、ひたすらもくもくと食事をとっている。
あの独特の感じには、なんともいえない魅力がある。
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そのホテルは川沿いの立地で、ガラス張りの朝食バイキング会場からは、山をバックにゆうゆうと流れる川を眺めることができた。
私が着いたとき、すでに会場は8割ほどの席が埋まっていた。
出張利用も多いビジネス寄りのホテルだからか、4名がけよりも2名がけの席が多い。2名がけの席はほぼすべて単身の人が使っていて、みな一様に、川を眺めながら朝食をとっていた。
テーブルはガラス張りの壁に対して垂直に配置されているので、川を正面にばっちり眺める席に座るか、もしくは川を背にして座るか、その二択なのだ。
だれとも知らぬ同士が起きぬけに、肩を並べるようにして川を眺めてごはんを食べるのはなかなか不思議なことだよなあ、と袖振り合う人々それぞれのドラマを想像しながら、私はおかずを皿に盛ってゆく。
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食事をお皿に取り終えると、私も迷うことなく2名がけの席の、「川を正面にばっちり眺められるほうの席」に座った。
隣との感覚はきつくもないが、ゆったりとしているわけでもない。だから座るときは少し意識するけれど、まあ座ってしまえば気にならない。それくらい、川のインパクトのほうが大きい。それに、反対側の席に座って他の全員の視線を浴びる強さもわたしには、ない。
ひとりしずかに、もくもくとごはんを食みながら、思う。
ああ、いいなあ。
これから仕事に行くと思われるワイシャツ姿の重役らしき隣のおじさまも、いま、この瞬間はゆうゆうと流れる川を眺めながら、もくもくとごはんを食んでいる。なんと平和な光景だろう。
そんなことを考えながらイカしゅうまいを頬張っていると、隣のおじさまが食事を終えて去り、しばらくして20代前半くらいの男性がやってきた。
そして食事の入ったトレーを、ためらうことなく、「川を背中にして座る席」に置いた。
そして「川を眺める席」には、重たそうな荷物の入ったリュックをどかっ、と置いたのである。そのままドリンクでも取りに行ったのか、いったん席を離れていった。
えっ。
イカしゅうまいを咀嚼しながら、私はひそやかに動揺する。
そうか、そっちに座るのか。
別に川に興味がない人がいるのはわかる。眺めなくたっていい人は多いだろう。
ただ、彼の左隣の私はもちろん、彼の右隣の人も、そのまた隣の人も、さらにその隣の人も、「川を眺める席」に座っている。つまり「川を背にする席」に座るということはつまり、そうした我々と対面し、「川を眺める族」の視線をばっちり浴びるということでもある。
その状況でわざわざ、反対サイドの席をチョイスしたのは何ゆえか。切り干し大根を食べながら、わたしはもう少し考える。
まあ……、わからなくはない。確かに川がない普通のカフェを想像すれば、みんながみんな、隣り合うように同じ側の席に座るのはちょっと異様な光景でもある。あまり広くはない隣との距離が気になる、ということもあるだろう。
そこまで思い至って、あ、と思う。
もしかしてその若者は、川を背にしてでも、みんなの視線を浴びてでも、このおばさんの隣に座るのはいやだなと思ったのだろうか。そうよわたしは川に負けた女。いや何か違う。
ある意味で、川に勝った女、と言えるのかもしれない。
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もちろんすべては想像だ。人には人の事情があるものだし、本当のところはわからない。
まあそういう人もいるさと頭では思いつつ、それでもやっぱりどこか動揺したような、若干へこんだような気持ちをなだめるように、わたしはデザートのフルーツカクテルの皿を寄せる。
ああ、デザート用のスプーンを取り忘れたな。
取りに行くのが面倒だと、フルーツを箸でつまんでひと粒、ふた粒口に運んでみたけれど。ちまちまとしか食べられないこれもまた面倒だわと思い直し、席を立つ。
カトラリー類は、おかずが置いてあるテーブルとは別のテーブルに、まとめて置いてあった。そのテーブルの前に立ち、わたしは愕然とする。
なんとそこには、地元名物の茶漬けができるセットが用意されていたのだ。旅先に行ったら少しでもローカルなものを食べたい自分にとって、その土地の名前がつくほどの茶漬けを、しかも無料で食べられたはずのものを、見落としていただなんて……!
しかし、すでにお腹はいっぱい。とてもここから茶漬けをかっこむ元気はない。なんならさっきの件で、メンタルも少々へこんでいる。
しかし希望があるとすれば、今回は2泊3日の旅。明日もチャンスはきっとある。明日こそ、わたしはこの茶漬けを食べる。食べるんだ。
強い気持ちにスプーンを握りしめ、席へ戻った。
しかし食べながら、「ああ、あんなローカル名物を見落とすなんて……」と地味な動揺を引きずっていたのか、単にスプーンが小さすぎるのか、フルーツカクテルの桃やら梨やらを、ぼろぼろとトレーに落としてしまった。
小さな子どものようにそれを拾いながら、ふと顔をあげると、隣に座ったかの若者は、たんたんとスマホを見続けている。
それを見てわたしは思った。
“ああ、なんて落ち着いているんだろう”。
わたしは彼のことをとやかく言う前に、もう少し自分のことを心配したほうがいいし、むしろ堂々たる落ち着きというものを、彼に学んだほうがいい。