「もみじはくまんぐを、じゅういちじに、はれにしてくださーいっ! もみじはくまんぐを、じゅういちじにっ」
息継ぎすら惜しむように、繰り返し、繰り返し唱える子の大声が、リビング中に響きわたる。
時折、レースのカーテンをぴらりとめくって外をのぞいては、「もみじはくまんぐを、じゅういちじに、はれにしてくださーい!」とまた、やっている。
ちなみに、「もみじはくまんぐ」というのは「紅葉八幡宮」のことだ。
*
時は、土曜日の朝。
私たちはその週末、土日のどちらかで七五三のお参りに行く予定にしていた。
前日の段階ではほぼ晴れ予報だったから、朝は行く気満々で起床。
だが朝ごはんを食べていると、辺りには黒い雲が立ち込めていることに気づく。なんなら小雨もちらついた。アプリをひらいて雨雲レーダーを確認してみると、これからもまた、少し雨が降りそうな予報になっている。
娘は着物を着るし、やっぱり明日にしたほうがいいんじゃないか……?
「ど〜する〜?」
親ふたりが迷って煮えきらないようすに、主役の娘も小首をかしげる。
わたしは口をひらいた。
「ううーん、よし。朝ごはんの片付けをして、9時には、どっちかに決めよう! 娘ちゃん、ちょっと神様にお願いしといて。“7歳までは神の子”って言うらしいし。娘ちゃんのお願いなら、ぎりぎり届くかもよ〜」
少し前に七五三の由来を調べて、「七歳までは神の子(※諸説あり)」という説に触れたのを思い出し、軽い気持ちで子にそんな投げかけをする私。
なんとなく具体的なほうが効き目がありそうだと思い、「お参りに行くのは紅葉八幡宮ってところだから、そこを11時くらいに、晴れにしておいて!」なんて付け加えた。
こうして文字に起こしてみると、なんとまあいいかげんな母親であろうか。朝食のフライパンやら食器やらをわしゃわしゃと無心で洗いながら、口ではそうやってその場しのぎのことを言って日常をやり過ごしていることが、描写されるとよくわかってしまう。
一方、娘はたいへんに素直なもの。
無茶苦茶ともいえる母の注文を「わかった!」と引き受け、カーテンをめくって「もみじはくまんぐをっ、じゅういちじにっ、はれにしてくださーい!」とやりはじめた。そして話は冒頭へ戻る。
ただの偶然だろうか。
しばらくすると、なんだか黒い雲が動き、明るい空が少しずつ広がってきたようにも思えた。おっ、と思って再び天気アプリをひらいてみるが、雨雲レーダーの予報では、やっぱりまだ、これから少し降ることになっている。
うーん、どうするかなあ、今日行くか、明日にするか……。
思いあぐねていたが、その間もひっきりなしに「もみじはくまんぐをっ、じゅういちじにっはれにしてくださーい!」と繰り返されるうち、子の念力を信じようと決めた。
「よし!やっぱり今日、行こう!」
*
そうと決まれば母は忙しい。
娘に対して、生まれて初めてうっすらとメイクをほどこし、ミディアムで中途半端なボリュームの髪の毛もなんとかセットアップ。
事前に動画を検索して得た知識「逆毛を立てる」は、素人がやるとただぐしゃぐしゃと汚く見えてしまうのではないかと危惧したが、ある程度目の荒いくしを使ったら理想的なボリュームが出た。やるじゃないか私。
そして、髪飾りの効果はすごい。ふわふわ、くしゃくしゃっとして鳥の巣みたいだった髪は、髪飾りをつけると、あら不思議。なんだかとても様になる。
ありがとう、インターネット。ありがとう、目の荒いくし、そして髪飾り。ありがとう、レンタル着物に髪飾り(ひとつじゃなくて複数)までセットにしようと考案してくれた、企画者のひと!
ヘアセットを終えたら、次は着付け。
これも事前に動画を見て、夏に浴衣を着せたときの延長でなんとかなりそうな気がしたので、自分でやることにしていた。
夫と子どもにも前日に動画をざっくり見せて、これだけの手順があるのだということを理解してもらい、協力よろしく!と声かけをしておいた。その場にいる全員に、少しでも流れを把握しておいてもらうことは間接的な手助けとなる。
作業の数は多いけれど、動画のおかげで混乱することもなく、思ったよりはスムーズに着付けが進んだ。
このとき、帯や腰紐、伊達締めをもう少し上のほうで結び、かつもうちょっとキツめに結べばよかったなあと、今となっては思っている。
だが、渦中の必死なわたしは知る由もない。それにまあ、ほどけて落ちるようなことはなかったので、初めての着付けにしては十分、十分。
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いそいそと車に乗り込み、車で30分ほどかけて紅葉八幡宮へ。
だが、しかし。
なんと向かっている道中で、ガラス窓を雨がぽつぽつと打ち始めたではないか。
再び雨雲レーダーをチェックすると、私たちは西から東へ、雨雲を連れて移動しているらしい。Oh my...!
まあそれでも雨が降るまで、神社に到着してから40分ほどは猶予がありそうだ。その間に写真を撮ったりして、雨に着物が濡れる前に引き上げよう……。
私は頭のなかでそんな段取りを想像しつつ、落ち着かない気持ちを抱えていた。
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神社でのお参りは、つつがなく進んだ。
手水で手や口を清め、お賽銭を入れてお参りし、子がおみくじを引きたいというので子どもみくじを引く。
すると横で猿回しの芸が始まるというので、ベンチに座ってじっくりと見た。
猿回しが終わり、遅ればせながら七五三のご祈祷を申し込むべく受付に行ってみると、今からだと、30分後の12:30からの回になるという。
到着してすぐに受付をしておけばよかったのだが、後の祭り。ここから30分待つのは、さすがに長いな……ということで、じゃあ代わりに絵馬でも書いて帰ろうか、という話になった。
しかし子どもが自分でペンを握り、うーんと考えながら、ゆっくりじっくり書くのを見守っていたら、意外と時間は過ぎてゆく。あれ、12:30て案外、すぐなのでは。
わたしは信心深いほうではないけれど、「祈祷に参加する」のは子どもにとっていい経験のひとつになるんじゃないかなあという気持ちの未練もなんとなくあり、「あと10分くらいなら待てそうだし、やっぱり12:30からの回に申し込もうよ」と夫に言って、申し込むことにした。
親からお祝いももらっていたから、せっかくなら自分たちだけではやらないこともやろう、という思いもあった。
かくして社殿に入り、ありがたい祈祷を受ける。
「ご低頭ください」という言い回しを、ひさしぶりに聞いた。
信心深くはないからこそ、こうやって自分にとってはよくわからないものに身を委ねてみる機会が、数年に一度あることは悪くないなあ、などと思いながら素直に低頭する。
効果がはっきりとはよくわからないものに人はお金を払い、わからないけれどお祈りの儀式をして、人々はその神妙な雰囲気に満足をする。それによって仮に直接的な効果がなくても、そういうものに触れて、ああ、よくわからないなあ、と思うだけでもいい気がした。その時間や空間を経験した、ということ自体が大事なのかもしれない。
わかりやすさを求める世の中で、「よくわからない」に浸かってみる時間は大事だと思う。
子どものなかにも、「なんだかよくわからないけれど、七五三の日に、変な格好をした人が叩く太鼓の音を聞いたり、おもしろい読み方で家の住所や名前が読み上げられた、不思議な時間があったな」というおぼろげな記憶が、その断片だけでも、残ったらいいなと思う。
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ところでお気づきだろうか。
ここまで、神社に到着してから1時間以上経っている。
雨は、降らなかった。
見上げてみると、ずっと空を覆っていた雨雲も、いつのまにかなくなっている。
雨雲レーダーのアプリは、もう開かなかった。
満6歳、ぎりぎり神とつながっているらしい彼女の声は、やっぱり神に届いたのだろうか。
都合のよいときだけそうやって神様の存在を肯定する母はどこまでも勝手でいいかげんで、自分でも日に日に、自分への信用がなくなっているけれど。
そんな母のもとでも呆れずに育ち、自分の足で歩きはじめている娘を頼もしく、誇りに思うよ。
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うっすらと神とつながる六歳の対話を見ている青い紅葉(もみじ) #短歌