エッセイ 日々の思考 言葉

"Have a good day"に思うこと。

子の持っている目覚まし時計には英語モードというのがあって、目覚まし音とともに、短い英語の音声+その和訳が再生される。

メッセージは日毎にランダムのようだが、例えばこんな具合だ。

「ジリリリリリン! ジリリリリリン! Good morning! おはよう、あさだよ! Wake up! おきよう」

ここまではいい。ボタンを押して目覚まし音を止めると、

「じかんどおりに、おきられたね。Wonderful! すご〜い!」

まあ、ちょっと長いような気がするけど、まあ、ここもいい。

問題はその後だ。

「Have a good day! きょうも、がんばってね♪」

これが私のなかでは、自分の過去の思い出ともあいまって、どうにも腑に落ちず、朝からもやもやもやもやとしてしまう。

"Have a good day!"はいい。気になるのは、その和訳として再生される“きょうもがんばってね♪”のほうだ。

いや、言いたいことはわかる。直訳の「今日もよい日を」というのは確かに日本の慣用表現としてはあまり一般的ではないほうだし、まして子どもを対象にした商品の意訳としてはふさわしくない、きっとそんな配慮から「きょうも、がんばってね♪」が採用されているんだろう。

そのくらいの思いを馳せることはできるから、けしからん!と怒る気はまったくない。

ただ、ただでさえ起きたくない冬の朝、目覚ましの音を聞きながら「Have a good dayってそういう……ニュアンスじゃなく……ない……?」とひとり、悶々としてしまう。こども向けの目覚まし時計に対して苦悩する。それだけの話である。

ここからは完全に、わたしの個人的な解釈の話になる。信憑性はない。

ただ私が“Have a good day!”と聞いて思い出すのは、20代後半のころ、オーストラリアのシドニー郊外にあるマンションでルームシェアをしていた、韓国人のシェアメイト、ステラ(英語名)のことだ。

当時わたしはワーキングホリデー中で、半年ほど、現地の日本人向けフリーペーパーの編集部でライターとして雇ってもらい、働いていた。だから海外滞在といっても旅行やバカンスではなく、朝出勤して夜帰る、the日常生活を半年間ほど過ごしていた。

ステラは私より少し年上で、現地で長く暮らしていて、シェフを目指して料理の学校に通いながら、飲食店でアルバイトをしていた。

時間帯的にはすれ違うことも多かったけれど、私が出勤するタイミングにたまたま起きていて、顔をあわせると必ずといっていいほど、言ってくれた。

“Have a good day!”

私もそれに対して、“Thanks, you too!”と笑顔で返す。

その記憶があるからなのかもしれない。私は、Have a good dayという表現やその文化、いいなあ、と思うようになった。

これは私が日本の文化を嫌いということではなくて、日本にもそれ以外の国にも、それぞれ見習いたい文化ってあるなあ、と思うそれである。

例えば私は、外国の家庭で皆が食卓を囲んでも何も言わず食べ始めるのを見て、ものすごい違和感とともにはじめて「いただきます」という言葉や習慣の素晴らしさを実感した。帰国当初、四季の豊かさ感動して泣いた。日本の好きなところ、素晴らしいところもたくさんある。

ただ“Have a good day”はその逆で、この文化、もっと日本でも広まればいいのになあ、と思ったことのひとつだ。

このカジュアルさで、このニュアンスの言葉、日本で日常的に使う慣用表現にはないんじゃないかなあ、と思ったからである。

あえて探すと、「いってらっしゃい」は近いところがあるかもしれない。1日の始まりに、微笑みながらの「いってらっしゃい」。

ただ違うのは、「いってらっしゃい」「いってきます」には送り手と受け手が明確に存在するところだ。

家から送り出す側が、「いってらっしゃい(今日もがんばってね、いい日をね)」というニュアンスを送っていて、「いってきます」という答えにはどちらかというと「いってきます(がんばってくるね!)」というようなニュアンスが込められていると思う。“そちらも、いい1日をね”というニュアンスは、なかなか感じづらい。

つまり、フラットじゃないのだ。

そこにきて“Have a good day!”“You too!”のフラットさはいいな、と思う。

声をかけるタイミングはやっぱり、家やお店を出るときとか、人との別れ際、みたいなシーンが多いと思うけれど、その場所を出ようがでまいが、あなたにとってGoodな1日になることを願っているよ、そんなニュアンスを込められる、ように感じている。

もはや慣用表現だからそれ自体にそんなに深い意味はないよ、という人もいるかもしれない。でも素人なりに考えると、よくある返し方が“You too!”であることに、原文としての意味は失っていないよな、と思うのだ。

「いい1日をね」

「そっちもね!」

お互い、全然違うところでそれぞれの1日を過ごすだろうけれど、それぞれにとっていい1日を願うよ。そんなニュアンスが感じられて、私は“Have a good day”“You too”のやりとりが好きだった。

そんなこともあって、私は日本語のメッセージでも、文末を「今日もよい日を」と結ぶことが多い。

その前提をもって冒頭の、目覚まし時計である。

「Have a good day! きょうも、がんばってね♪」

これを聞いて、私がいつも悶々としてしまうのは、反射的に“え、がんばらなくてもいいよね?”と反発したくなるからだ。

がんばりたい日は、がんばればいいし、がんばりたくない日は、がんばらなくていい。がんばろうががんばらなかろうが、その人にとってGOODな日であればいいのになあ、と思う。

がんばれ、に限定しないでほしい。

「Have a good day! きょうも、いい1日をね♪」

そうやってシンプルに伝えてもらえたほうが、気持ちが楽になる子もいるんじゃないかと思うのだけれど、どうだろうか。

(おわり)

 

P.S.アイキャッチはステラが焼いてくれたパンケーキ。元気にしているかなあ。

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