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校正・校閲の仕事の手触り感『文にあたる』牟田都子/亜紀書房【読書記録】

読み終えてからもうしばらく経つのだけれど、物書きの端くれとして、あまりに付箋だらけになりすぎて、いつもの読書記録のように気軽に感想を書けずにいた1冊、『文にあたる』。

校正者・牟田都子さんが、校正・校閲の仕事や、校正者の本の読み方、付き合い方についてつづった本だ。

2016年ごろにも校閲をテーマにしたドラマが話題になっていたりして、校正・校閲のお仕事はなんとなく、自分が間接的に関わる雰囲気や、そうしたドラマのイメージから、(直接は知らないけれど)ぼんやりと、知ったような気になっていたと思う。

ただ本書を読むことで、そうした自分の仕事の一部として触れる校正・校閲のイメージとも、ドラマの中で描かれる校閲ガールのイメージとも異なる、また新しい校正者さん像、みたいなものを垣間見たような気持ちでいる。

具体的に学びになった箇所は数え切れないのだけれど、この書籍全体を通してわたしがもっとも感じたことは、「校正者さんは、文章面のアンカーなんだな」だった。

いや、実際は、牟田さんが本書で何度も書かれているように、「これは誤り」と決めつけることはなく、あくまで「疑問を出したり」、「提案したり」というスタンスで取り組まれているので、”アンカー”と呼ぶとご本人も抵抗を感じられるかもしれない。

ただ個人的に、普段ライターという立ち位置でいろいろな原稿に関わる自分からすると、この本に書かれていることを読むたびに、その覚悟に背筋が伸びるというか、ひれふすような思いになるというか、ひと言でいうと、自分はとうていその最終走者にはなれないな、という気持ちにさせられるのだ。

これまでも仕事のなかで、書籍に携わらせてもらったことがあるけれど、そのときもどちらかというと私には、バトンを渡してゆくような感覚があった。

もちろん自分のなかでも内容は何度も吟味して、最善は尽くしているつもりだったけれど、事実関係などは「まだ校閲者さんという目が見てくれるから、もし何かあればきっと指摘くださるはず……」という気持ち、甘えがあったと思う。

そして校正・校閲の方は、もともとがみなにそうやって「最終チェックよろしくね!」と頼られるポジションであり、逆にいうと自分たちが頼る先はない。

人間として、いくら見ても、見落としやミスはあるということを痛いほどに認識しつつ、それでもその立ち位置で原稿を受け続け、世に出し続けるというプレッシャー、そして覚悟はいかほどのものか、と、読んでいて心がヒリヒリとした。

そういえば話は変わるけれど、読んでいて思い出したことのひとつに、「ちりばめる」の話があった。

私も、以前書籍のお仕事に携わらせていただいたとき、「ちりばめる」を「散りばめる」と書いてしまい、正しくは「鏤める」なのだということを、編集者さんを経由した校正者さんからのご指摘で知った。

何年もライターという仕事をしていて、恥ずかしながら、「鏤める」が正しいということをそれまで知らなかった。

こういうことはおそらく他にも多分にあるはずで、これ、結構おそろしいことだな、と思う。

ライターといっても、紙やWebでいろいろ書いているといっても、編集さんが見せ方や構成を整えてくれることはあっても、書籍レベルでの校正・校閲を受ける機会があるライターはほんのひと握りだ。私の仕事のなかでも圧倒的に少ない。

それでも一応は成り立ってしまう、というのがまた、なんともいえないやっかいさがある。

自分もこのブログのような雑記など、こまかい表現はさておき自由に書き散らす文章の楽しさもあると思っているから、……本当になんともいえない。

ただ言えることは、本気で世の中に出してゆきたい文章があるときには、絶対に、信頼できる校正・校閲者の方の存在が必要だ、ということだけだ。

また、この本を読んで知ったことのひとつに、小説の校正・校閲の考え方があった。

『校閲ガール』ではどちらかというと、事実と照らし合わせて表記の誤りを正すようなところにフォーカスが当てられていたように記憶しているけれど、本書では「どこまで赤くするか」や「暗がりを残す」の節にあるように、わかりにくさや、一見誤りだと思えるものに対して、著者の意図に思いを馳せ、指摘や疑問を入れるか逡巡する姿が描かれている。

"このように「情報を制限する書き方」はいまは好まれない。しかし「ひところまで文章はこのくらいの『明るさ』のなかに立って、知るべきものを照らしていた」のだと。”

(中略)

“読者の視点から「もう少し説明を補いますか」と声を上げるのは校正の役割のひとつだと思います。でも、それが「お節介」になってしまうこともある。ものごとが曖昧な輪郭の中に沈んでいる電球色の校正と、皓々たる蛍光灯の校正と、どちらが求められているのか、文章の性格や媒体によってそのつど考える手間を惜しまない仕事ができればよいのですが。”

p161-162『文にあたる』牟田都子(亜紀書房)

とくに上記の一節は、ワード原稿などで「もう少し具体的に……」などのコメントを入れることもある自分の日常とも重なり、いろいろと考えさせられた。

電球色か、蛍光灯か。その視点、忘れずにいたい。

総じて、なんとなくわかるようでわからない、もやに包まれた校正・校閲の方のお仕事や働き方、仕事への考え方、姿勢が、初めて(ドラマなどの切り取られ方でなく)ひとりの「実際に働く方の頭の中」という切り取られ方で拝見できて、校正・校閲のお仕事が自分にとってより手触り感のあるものになった。

今後また、どこかで書籍に携わるような機会がいただけたら、ライターという立ち位置だとしても、以前よりも思いを馳せて自分の行動を変えていきたい。

そしてWebや紙媒体などそれ以外の仕事のなかで、むしろ自分が校正・校閲に近い関わりをする仕事においても、今は電球なのか蛍光灯なのか、それは本当に指摘すべきことなのかなど含め、意識を新たにしてゆきたい。そう思った。

(おわり)

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