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母、ひとり旅を思い出す。ぶらり由布院【前編】旅のはじまりと、お宿のこと。-photo essay-
ひとり旅をしたのは、いったい何年ぶりだろう。 「誰かに会うためにひとりで移動をする旅」なら、家庭をもってからもわりあいしてきているほうだと思う。出張でも、プライベートでも。 ただ、やることを決めずに、 ...
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とりあえず行ってみようか金鱗湖。
さて、2日目。
旅に出る前は、「家族の朝ごはんをつくらなくていい朝なんて! たまにはゆっくりと朝寝坊を味わいつくすぞう」なんて、想像をふくらませていたけれど。
結局は朝霧への興味が勝ち、6時のアラームとともにぱちっと起床。むしろこのくらいの時間にすっきり起きられるようになったのは、子との規則正しい生活のおかげさまである。
ただ、そこからの行動は違う。
いつもなら寝ぼけ眼でのそのそ着替え、はー、めんどくさーと思いながら食洗機の食器を戻しはじめるところ、今日のわたしは違う、違うぞ。わくわくを胸のうちに抱え、旅先の一室でササッと着替えをすませる。
マフラーとコート、ニット帽にマスクで完全防備し、ひとりてくてく金鱗湖へ。
Google mapに導かれて、迷わずに足を進めてゆく。ああ、旅の形は変わるんだね。若き日に紙の地図をくるくる回して、それでも迷ってばっかりだったわたしよ。
道中、うどん屋さんだろうか、朝早くにもかかわらずガラス越しに麺づくりの準備をしている姿が見えた。
ここで生活や商売を営む方の「日常」をぼんやりと想像しながら、起きゆくまちを歩く。
ほどなくして、それらしき入り口を見つけた。
吸い寄せられるみたいに、建物の間を通り抜けてゆく。
まだ陽が登る前の薄暗い金鱗湖に、朝霧はたしかに立ち込めていた。
聞くところによると、年間を通じて水温が高いことで、こうして冬の早朝には湯気が立ちのぼる風景が見られるらしい。
鯉も泳いでいた。朝からわらわらと人が来ているのを、毎日のんびりと眺めているのかもしれないなあ。
あとで調べてみたら、「明治初期の儒学者・毛利空桑が、湖で泳ぐ魚の鱗が夕日で金色に輝くのを見て「金鱗湖」と名付けたといわれている」そう(由布市のサイトより)。
鯉たちは、ぽっと出でやってくる人間よりよほど、この湖をよく知っているのだろう。
ひと散歩終えたわたしは、宿へ戻って朝食へ。
ひとりのごはんはなぜ、いつかの記憶を持ってくるんだろう
朝ごはんも洋食で、サラダと、スムージーと、パンと、トマトシチューのようなもの。
多すぎず少なすぎず、寒い日に温かいスープがあって、ちょうどいい。Just fine.
供される朝ごはんに感謝しながら、ひとりもぐもぐとパンを噛む。
パンには別のお皿にバターがついてきていた。そのバターをナイフですくい、パンに塗っていたらふと、オーストラリアの田舎で過ごしたある日々のことを思い出した。
そこは週末だけレストランを経営している家で、わたしと、もうひとり韓国人の子が滞在し、料理の仕込みなどを手伝っていた。業務用の冷蔵庫にはいつも、おいしい作りおきが詰まっていた。
ただ、欧風レストランだったので、とにかくバター、チーズ、クリームといった系統の高カロリーなメニューが多かった。それについてアジアンな舌と胃袋を持つ私たちは「Everyday butter, cream, cheese,butter......」と自分たちで自分たちを揶揄しながら、笑って、おいしく食べて、そして順調に太った。楽しかった。
そんな日々を思い出していると、いま、目の前で料理をサーブしてくれるこのレストランのスタッフさんや、宿のおかみさんなど、ここで働く人の日常に思いを馳せてしまう。
ここ由布院で、観光地で、毎日働くひとがいるんだな。自分はきっと、もう一生、そんな日常を経験しないんだろうなあ。
他のひとの人生を、違う人生を、みんなちょっとずつ、体験できたらいいのにな……。
ぼんやり思いをめぐらせていたら、唐突に、“ああ、私、それをしていたじゃないか”と思い当たった。
オーストラリアのあの家にいた期間、まさにそうだった。それだけじゃなくて、あの長い旅の間、私は「自分じゃない人の日常がみてみたい」と、いろいろな家で家事や農作業をお手伝いする日々を、体験させてもらっていたのだった。
そうか、あの期間て、そうだったんだなあ。当時はそんな客観的に理解していなかったけれど、そうか、そういうことを、体験させてもらっていたんだ。
過去の体験に、新しい視点をもらったような気がして、じわっと少し、涙がにじんだ。
あたたかいスープには、涙腺を弱くする力があるような気がしている。トマトの味わいと一緒にごくんと飲み込んだ。
とりあえず行ってみようか金鱗湖(まさかの2度目)
朝食を終えて宿のフロントを通るとき、宿のおかみさんに「朝、金鱗湖行ってきました」と話しかけると、「あら、行ってきたの!」と応じてくれた。
「いま、たぶんもっときれいよ。陽が出て、それがきらきらと光って、とてもきれい」
なんですと。雑談はしてみるものだ。
「そうなんですか。それじゃもういっかい行ったほうがいいかもですね……。ちなみにそれって、何時ごろまで見られますか?」
9時ごろまでかしらねえ。そう聞いてロビーの時計を見あげると、あと15分ほど。
とりあえず部屋に戻って準備し、チェックアウトの前にもう一度、金鱗湖に行ってみることにした。
朝も同じ道、通ったなあと思いながら、再びその道を行く。
二度手間じゃん、と思わないこともないけれど、それよりもこうやって、地元の人の言葉で自分の行動が変わっていく感覚が好きで、楽しい。
金鱗湖に到着した瞬間、ああ、やっぱり来てよかったと思った。
おかみさんが言っていたとおり、山の後ろから陽がさして、早朝とはまた違った美しさがある。これを見ずに、帰らなくて本当によかった。
朝霧が雲にみえて、鯉は、なんだか空を泳いでいるみたい。
宿に帰って、「やっぱり行ってよかったです!すごくきれいでした」と伝えたら、おかみさんは「そう」とうれしそうに笑ってくれた。
カムサハムニダと言われて思い出したことがある
さて、今日やろうと思っていたことのひとつ「金鱗湖へ行く」はこうして、朝10時前に終わってしまった。
唯一のもうひとつの予定、「COMICO ART MUSEUM」は、オンライン予約で割引があるというので、数十分後の枠を宿の部屋から予約。
宿のチェックアウト。
有料サービスで荷物を駅まで運んでくれると聞き、お願いしようかと思ったが、私は預けたい荷物が2個あり、それだと料金が2倍になってしまうとのこと。ならば自力で駅まで歩いて、ひとつのコインロッカーに詰め込もうと決めた。
前日とは打って変わって、この日は快晴。寒さもずいぶんとゆるんでいる。
駅のコインロッカーは、一番わかりやすい場所のものは、すでに10時ごろで満室になっていた。おやおや困ったな……と思ったけれど、その壁には親切に別の場所にあるロッカーの案内が貼られていて、そちらへ移動。
そちらのロッカーはまだ結構空いていて、無事に預けることができた。
トイレへ行ったりして駅前をうろうろしていたら、今降りてきたと思しき中国人の観光客の方々が、コインロッカーの前で空きを探して行ったり来たりしている。
おせっかいかな、とも思ったが、外国語が聞こえると自然とわたしの中にある旅人スイッチが入るのか、気軽に声をかけていた。
「あの!向こうに別のロッカーありますよ。そっちはまだ空いてます」
そんなようなことを英語&身振りつきで伝えると、"Oh thank you"のあとに“カムサハムニダ”と返ってきた。
その瞬間は反応できなかったのだけど、その後の会話からも彼らは明らかに中国人だったので、ワンテンポ送れて「あ、私、韓国人に間違われたってことか」と気づいた。
このできごと、なかなかいろんな感情がわっと頭のなかをよぎった。
ひとつは、うれしいような気持ち。というのも私はこれまで、いろいろな場所で複数の異なる韓国人のシェアメイトと暮らした経験があり、そのなかで「あなたって結構韓国顔だとおもうよ」みたいなことを言われてきた背景があるからだ。
まさか、日本にいながらにして韓国人にまちがわれるとは。むふふ、あのころの友人たちの言葉は、あながちはずれてはいなかったのかもしれん。なんて。
もうひとつは、ちょっとさみしいような不思議な気持ち。なぜなら、ここは日本だからだ。確かに時は旧正月で、そもそも日本人より中国、韓国からのお客さんが多い時分だとしても、ちょっと親切に声をかけた人間が、当たり前のように「日本人ではない」と瞬時に判断されたのだとしたら、それまでの日本滞在のなかで、あまり親切な日本人に出会えなかったのかもしれないなあ、なんて思いを馳せてしまうからだ。
うれしいような、さみしいような。
その両方の気持ちに挟まれて、複雑な気持ちを、複雑なまま、胸のうちに転がしておいた。
旅先って、つい美術館へ行ってしまう。「COMICO ART MUSEUM」
さて、その日の朝にオンライン予約をした「COMICO ART MUSEUM」へ。
メインストリートは人であふれているけれど、ちょっと曲がると静かな道。やっぱり人が少ない通りが、わたしは好きみたいだ。
よくみると側溝のふたから湯気がたちのぼっていて、ここにも温泉がまざっていたりするのかな、なんて想像する。
ほどなくして、COMICO ART MUSEUMに到着。
日本を代表する建築家、隈研吾氏が手がけたという建築で、たしかに佇まいからしてうっとりと眺めたくなる気配に満ちている。
“由布院の街並みと自然に溶け込む「ムラ」をコンセプトに、彩り豊かな自然の魅力を引き立たせるため外壁にはあえて表面を焦がした黒い「焼杉」を使っています。ランダムに貼ることで黒く長い壁にリズムと陰影を与え、建物全体が立体感を持ち軽やかに見えるのです。”
─「COMICO ART MUSEUM」 配布資料より引用
GALLERRYⅠとGALLERRYⅡは、草間彌生さんの作品展示。
印象的だったのは、2つのギャラリーに挟まれるような位置に水盤があり、両方のギャラリーはガラスで見えるようなつくりになっていたこと。向こうとこちらと、違うけれど同じ空間のような、おもしろさを感じた。ここは撮影NGだったので、ぜひ現地で体感してほしい。
室内での展示もさることながら、個人的には建物を移動しながら見る、という体験そのものがアートのように感じた。外の渡り廊下。
それぞれのギャラリーは、一見、え、ここから入れるのかな……?と不安になるような壁の前に立つことで、すーっと壁がスライドして入り口が現れ、中へ入れるようなつくりになっている。
自然光や緑も、外の風景も、作品の一部のよう。
移動中、外にある普通の公園が見えた。こうやって日常の空間と溶け合うようなつくり、いいなあ。
2階へあがると、より周囲の風景とのコラボレーションが楽しめる。
奥にそびえたつのは由布岳。
天気がよかったので、屋外テラス部分のさんぽも気持ちがよい。作品ではないけれど、謎の花がかわいかった。
ちょっと歩き疲れたので、ライブラリに腰をおろして、『草間彌生わたしの芸術』という本をパラパラと読んだ。だれかに「もう行こうよ〜」と言われることなく、気の済むまでゆっくりと時間を過ごせるのは、ひとり旅の醍醐味。
とりあえず、腹ごしらえでもしておこう
観光地の道中で、その土地の日常が垣間見られる瞬間が好きだ。
ところで、今日プランしていたことはもう終えてしまった。
まだちょっと早いけれど、とりあえずお昼ごはんを食べることに。
「The!観光ランチ」という高いお店に行くよりも、カジュアルな、地元の人も出入りするようなところがいいなと思い、朝、宿のおかみさんからいくつか聞いたなかから、アクセスのよかった定食屋さんへ。
JAゆふいんの農産物直販所併設、「陽だまり食堂」。
だご汁と鶏天のセットにしてしまった。そんなにお腹いっぱいにするつもりなかったのに、一番人気ってかかれると、つい。結局十分に観光地ランチ。でもカジュアルさが心地いい。
満腹になってしまったので、午後はたくさん歩こうと決める。
帰りがけ、産直コーナーをブラブラして、切り干し人参を買う。普段見ない野菜を見かけるとつい、買っちゃうんだよなあ。
わたしは、わたしをどこへ連れていってくれるのか
さて。ここからどうしよう。
あまりにノープランなので、ここにきて初めて、駅前の観光案内所に行ってみようと思い立つ。
受付の方に、とりあえず金鱗湖とCOMICO ART MUSEUMには行ったことを告げ、いまから15時56分の列車までの間で、おすすめはないかと聞いてみる。
由布院まち歩きマップ上の道を指差しながら、「こっちへ行くと、何もなくて。でも景色がきれいですよ」と教えてくれる案内係の方。ふむ。
「もしくは、こっちのほうへ行くと」、そう言ってその人は地図を裏返し、「この拡大マップのあたりも、小さいお店とか美術館があるんですけど。ただ遠いので、車がないとちょっと……」と言う。
「歩くとどのくらいかかるんですか」と聞いたら、「45分くらいですかねえ」とのこと。うーん。確かに、往復するとなると微妙だなあ。わたしは車の点と点の移動があまり好きではなく、移動もできればカメラ片手に写真を撮りながら歩きたいほうなので、はなから目的地まで車移動する気はなく、今回はむずかしいかな、と心のうちで思う。
ともあれ、由布院は湯の坪街道だけではない、わたしはまだまだ見ていないものがある、ということがわかり、おおいに参考になった。
ありがとうございました、と告げて、12:30ごろ、由布院駅を出発。
*
さてここから15:56までの3時間強は、冒険である。
とりあえず案内所の方のアドバイスで歩き始める「方向」はぼんやり決めたものの、あとはなんの行き先のあてもなく、歩いてゆく。行き当たりばったりを楽しむ。この感覚の、なんとなつかしくひさびさなことか!
観光客でにぎわうストリートから逸れ、山へ向かってぐんぐん、ぐんぐん歩きながら、爽快な気持ちになっていた。
ああ。冒険、したかったんだなあ、わたし。素直な自分の感情がひさびさに湧いてきたような気がして、なんだか笑ってしまう。
そうだよ、そうだよと、20代のころのわたしが心のなかでやいやいと言っている。あはは。ごめんごめん、行こう、行こう、冒険へ。前へ、前へ。
ちっぽけなわたしを穏やかに笑うみたいに、山がそこにいてくれる。
気になる小川があったら、写真を撮るために立ち止まったっていい。
あ、大きな川だ。気持ちいいな。
もう少し進んでゆくと、目の前に広大な土地が広がっていた。
こんなにひらけた景色、見たのはいつぶりだろう。
途中、ステンドグラス美術館の前を通り過ぎる。
入ろうか少し迷ったけれど、いまの自分はもうちょっと自然を眺めながらこのまちを歩きたい気分だったので、今回は見送ることに。まだまだ、ぐんぐん、ぐんぐんあるいてゆく。
山へ近づいていったら、パラグライダーをしている人が見えた。
ああ、気持ちいいだろうなあ。あの人の目線からは、いったいどんな景色が見えるんだろう。
歩きながらしばらく眺めていたけれど、長いこと上空の旅を楽しんでいた。
佛山寺というお寺に立ち寄る。
しずかなひととき。
門の前にあったベンチで水を飲んで、小休憩。
24分なら、歩けるんじゃない?
はてさて。ここからどうしようかな。
地図をひらく。
ちなみに……と、駅前の観光案内所で「車がないと」と言われたエリアまでの時間をGoogle mapで調べてみる。徒歩24分。おや。これなら、歩いていけるんじゃないか?
そう思い、紙でもらった拡大マップを改めて見てみると「わたくし美術館」という、なんとも気になる名前の美術館を発見。Google mapの口コミを見てみても、なんだかアットホームでよさそうな予感。そうだな。せめて、ここだけでも。
時計を見て15:56までの時間を逆算してみると、ちゃんと24分で到着すれば、鑑賞後、余裕を持って駅まで戻れそうではある。
後にわたしはこの「24分」の内容を知ってなるほど、これはキツイ……と思うことになるのだが、そのときのわたしはそんなこと知るよしもない。
「24分くらいなら、歩ける歩ける!」と気楽な気持ちで、わたくし美術館行きを決めたのだった。
*
心が決まればあとは行くだけ。
金鱗湖の裏側を通り、「あら、こっち側通ってなかったしラッキー」くらいに思いながら、足どりも軽く、さくさく歩いてゆく。
だが、事態は次第に変わってくる。
勾配だ。
MAP上の距離には現れないもの、それが高さである。次第に険しくなってゆく勾配。そうか、これは、山登りだったのか……。
日頃の運動不足がたたってぜいぜいと息切れしながら、なんとか足を前に進める。とっくにあれから、30分は過ぎた気がする。もうそろそろ、着くんじゃないのとGoogle mapをひらくけれど、なかなかどうして、目的地はまだ先のようだ。
“これは、もう、ゼエ、あきらめて、ゼエ、引き換えしたほうが……”。
本当に何度もそんな考えが頭をよぎりながらも、なんとか“こ、ここまで、来たんだから……”と根性で登りきった。
ついに「わたくし美術館」の看板に遭遇したときの喜びははかりしれない。
「わたくし美術館」という空間
中へ入ると、そのときの来客はわたしひとりのようだった。
向こうの部屋から館主さんが出てきてくれて、この美術館の案内をしてくれる。
館主さんとその奥さまとで集めた作品を展示されているという美術館。聞けばその前も、「わたくし美術館」という名前で運営していた方がいらして、その方からこの空間と名前を受け継いだそう。
すべて本物の宝石を入れているという、万華鏡を見せてもらう。
この素敵な空間で、日差しの差し込む窓辺で、ゆったりとしたBGMを聴きながら、この美しさをじっくりと見ることができただけでも、あの坂道を最後まであきらめないで登ってきて、本当によかったと思った。
動画も撮らせてもらったけれど、ここにはアップしない。ぜひとも現地で、あの空間とあの窓辺で、見てみてほしい。
館主さん手づくりの、立体万華鏡も。
2階、ステンドグラスのある一角。大切にデザインされた空間自体がとても心地よくて。
窓からは見事な由布岳。
個人の手で大切に集められた作品たちと、それらを気持ちよく展示している空間をじっくりと堪能させてもらい、わたくし美術館をあとにする。
駅のアートホールでの出会い
てくてく歩いて、駅へ。
行きの修行かと思う上り坂に比べれば、駅までの道は下りと平坦で、さらさらと歩けた。
コインロッカーから荷物を取り出し、列車を待つまでの間、駅のアートホールでやっていた展示を見る。
当時の展示は、中野淳さんの「眉雪」と題されたもの。
東京からUターンした中野さんが、日常のなかで接した年配の方々から受け取った「いつかの誰かの物語」を、写真や映像、言葉で表現されていた。
紙が直接掲示された気取らない展示だったから、朝は特に気に留めず通り過ぎてしまっていたけれど。時間をとってひとつずつ、言葉と写真に接すると、中野さんの届けたい思いの一端に触れられたような気がした。
いろいろな人生、いろいろな日常、どの人にも、物語があること。
自分のなかでも、もともと興味のあることでもある。
旅の終わりにこの展示に出会えて、よかったと思った。
また、旅をするよ
特急電車は、わたしを博多駅へ運んでゆく。
山の中から走り始めた列車は、時間をかけて、車窓からの風景を変えていく。
飛行機も車も乗るし、その恩恵も存分に受けている自覚があるけれど、やっぱりわたしは、電車の旅が一番好きだ。
機会があれば、またひとり旅に出かけたい。
若いころはよくやってたよね。年相応でいたほうがいいんじゃないかなんて、ちょっとした恥ずかしさもあって、そんな気持ちをセットしようとしていたけれど、今回のひとり旅で、思い出してしまった。
わたしはまだまだ、冒険がしたい。
ひとり旅もいいし、6歳の娘と、電車やバスでふたり旅というのもいいかもしれない。
車での家族旅行はたまに行くけれど、車の移動は夫に頼りきりになってしまうし、安心、安定感は抜群なぶん、「冒険」にはなりにくい。
子がもっと小さかったころはそれが何よりも大事だったけれど、春から小学生になることだし、そろそろ「冒険」にシフトしていくのもありかもしれない。そういえば、子も自分用のトイカメラを誕生日プレゼントで贈ってもらっていたし。
同じ冒険をしても、子が撮るものとわたしが撮るものは、きっとまったく異なるだろう。
子にはいま、どんな世界が見えているのか。それを知るヒントになるかもしれないな。
旅が連れてきてくれた、わくわくとした妄想を膨らませながらひとり、窓の外を眺めていた。
(おわり)