これだけ色とりどりのコンテンツにあふれた世の中になっても、「むかしむかし、あるところに……」ではじまる昔話が、子どもは大好きだなと思う。
わが子も絵本とは別に「お話して!」とよく言ってくるのだけれど。適当に話を始めようとすると結構な割合で「ちがう! むかしむかし、あるところに、ってするやつ!」などと指定されたりする。
いや、もしかすると子の「お話して!」に対して、もともとわたしや夫が「むかしむかし、あるところに……」とよく言っていたから、お話といえばそのくだり、となったのかもしれない。今となっては、ニワトリが先か卵が先か、みたいなもので、真相はよくわからない。
ただ昔話には今も昔も、子どもたちが惹かれ続ける魅力があるなあと思う。
「むかしむかし、あるところに」から、お話がはじまる。ここから何が起きるんだろう。
小さな子どもにとって、そうして「お話の世界がはじまってゆく」おだやかな導入そのものが、わくわくを呼び起こす存在なのかもしれない。
普段は「すでに知っているお話だから」と本を選ばないこともあるけれど、昔話に関しては知っているお話でも、いや知っているお話だからこそ改めて、絵本で読んであげたいなと思うこともある。
この『ももたろう』もそんな気持ちで選んだ。すでに娘も、保育園でもももたろうの絵本には接して、「お話」を知ってはいる。
ただ、この松居さん・赤羽さんによる『ももたろう』は、まだ読んだことはないそう。そんな『ももたろう』に、娘がどんなふうに反応するのか興味もあった。
結論をいうと、これがなかなかに好反応。
このときは20冊ほどの絵本を借りたのだけど、その中からわりと早い段階で自分から『ももたろう』を繰り返しもってきていた。他にもカラフルで鮮やかな絵本をたくさん借りた中、この古典的な風合いの1冊を気に入るとはなかなかおもしろい。
個人的にも、まずこの表紙の絵がなんともいえず味わい深くていいなあ、と思う。
りりしさとやさしさと、おだやかさとつよさ、みたいな要素がこのなんともいえない表情からどれも読み取れるような気がしてくるから、不思議。そして日本の伝統色を基調としたような色づかい。
ももたろうを描いた絵本はたくさんあるし、それぞれ個性があって読み比べたらきっとおもしろいだろうな、と思いつつ。ただやっぱり、こういう「ザ・昔話」のテイストは見ていて落ち着く自分がいる。
そして「1冊目」として、親から子に読み聞かせしてあげたいな、と思う質感があるのよね。
ちなみにこの本は、1965年に初版が発行されたミリオンセラーだそう。
でも、発行から55年以上たった今でも、その表紙を見て、子どもが自ら「これ」と選んで持ってくる。移り変わりの早い世の中だけど、その中でも古びることのない、本質的な魅力があるのかもしれないなあ。
さっそく、声に出して読み聞かせをしてみれば。
ストーリーはほぼ、おなじみのももたろうだけど(ところどころ、自分が覚えているももたろうとの違いはあるけれど、それはどの本にもそれぞれあるものかなと思っている)、言葉づかい、特に擬音語・擬態語はとても個性的で、読んでいて新鮮でおもしろかった。
わたしが特に印象的だったのは、このあたり。
かわかみから、ももが つんぶく かんぶく
つんぶく かんぶくと ながれてきました。
もう出だしからして「!」となったこの擬態語。
わたしはひとりでよく変な擬態語をつくって遊んでいるタイプなので、「つんぶく かんぶく」ってなんておもしろいんだろう!と感心してしまったのだけど、他のレビューサイトを見たら結構な方が「どんぶらこじゃないんだ〜」とか「どんぶらこっこがよかった!」などと書かれていたので、なるほどそう思う方もいるんだなぁ、と思った。
だいぶおもしろいと思うけどな。つんぶくかんぶく。
あとは、これも。
ももが じゃくっと われて、
なかから かわいい おとこのこが、
ほおげあ ほおげあっと いって
うまれました。
この赤ちゃんの泣き方ね、一見「へ?」となるけれど。
ちゃんと文字通りに「ほおげあ ほおげあ」って高い声で言ってみると、あ、赤ちゃんの声に似てる!って思うのですよ。赤ちゃんの声といえば「おんぎゃあ」って表記したくなるけれど、ほおげあ、ありだな。新鮮でおもしろかった。
あとは、ももが「じゃくっと」も、なかなかおもしろい。パッカーン!よりも、リアルな気がして。桃の果肉の手触りとか、果汁のしたたる感じまでなんとなく想像しちゃう。
それから、こちらも。
おにがしま めざして、やまこえ たにこえ、
うみをこえ、 ゆくがゆくが ゆくと──
正直、「ゆくがゆくが」って、わたしの小さな知識では意味に確信がもてない。
シーンから想像するかぎり、「どんどん」とか「ずんずん」とかそういう擬態に近いのかな?と思いつつ。あとは「ゆくが」の「が」というのが「〜のような」みたいな意味だとしたら、「ゆくがゆくが」っていうのは「ゆくように、ゆくように」というか、進んでいる感じを強調しているのかもしれないけど。
とにかく意味ははっきりわからなくとも、上でご紹介してきたようないろいろな日本語の音やリズムが散りばめられていて、言葉の自由さに子どもと触れるという意味でも、わたしはいいなと思った。
あ、最後にもうひとつだけ。これはぜひ紹介しておきたい一節がありました。
鬼の大将が襲いかかってくるときの擬態。
「なに、ももたろうが なんだ」と
ばかにして、わりわりと かかってきました。
「わりわりと」!
くやしいけれど、「わりわりとかかってくる」って、私は思いつけない。おもしろいなぁ。
ちなみにこの『ももたろう』では、ももたろうが入っている桃を拾うまえに、ふつうの小さな桃が流れてきていて、おばあさんがひとりでそれを食べちゃってたりするんですよね。
なんか人間味があるというか、より現場のリアリティが感じられておもしろいなと思った。
なんかそういう、自分が想像していなかった桃太郎のサイドストーリーみたいなもの、ほかの絵本の『ももたろう』にもいろいろとあるのかもしれないな。
ちょっと調べてみたら、ふだん別の絵本でよく目にする作家さんたちの『ももたろう』もたくさん出ているのを発見。読んでみたいな。中でも、個人的に特に気になっているラインナップはこちら。
今回の『ももたろう』も、ひとつのストーリーや語り口としておもしろかったから、今度また、いろいろと読み比べてみよう。
同じ『ももたろう』って名前でも「いろんな話があるんだなあ」ってところから、お話や言葉の自由さみたいなところを、子にもなんとなくでも感じとってもらえたらうれしいなあ。とっぴんぱらりのぷう。