そもそも好きな荒井良二さんの中でも、特に大好きな1冊。
たとえば女友達に初めての子どもが生まれたとして、育児中に遊びに行くとなったら。わたしは子ども本人がすぐに遊べそうな「触って遊べる系」の絵本と、それとは別にもう1冊、親向けに荒井良二さんの『あさになったのでまどをあけますよ』か『きょうはそらにまるいつき』を買っていきたい。
『あさになったのでまどをあけますよ』の紹介でも書いたけれど、この絵本たちは“絵本”というカジュアルな名前と形式にくるまれた、美術館だ。少なくともわたしの中では確実に。慣れない育児に自分を見失いそうになっている中、荒井さんの描く世界のタッチや色彩は、想像以上に心を癒やしてくれる。
この『きょうはそらにまるいつき』においてわたしが一番好きなところは、時間の同時並行性のようなものが扱われているところだ。
ストーリーとしてはシンプルで、「まるいつき」が出ているある夜に、いろいろな人や動物が何をしているか、切り取られてたんたんと紹介されてゆくというもの。とくに主人公がいてその行動を追うということもなく、いろいろな人があらわれて、それぞれが等しい重さで扱われているように感じる。
でも、よくよく観察すると、確かにみんな同じ世界の住人でつながっているんだな、とわかるのだ。
最初に出てきたベビーカーに乗った赤ちゃんとそれを押すお母さんは、バレエの練習が終わった女の子のことを書いているシーンで、実は背景にちょくちょく登場している。
そしてそのバレエの女の子もまた、他の人のことが書かれているシーンの背景の中で、同じバスの座席に座っていたり、バスを降りたり、家に帰ったあとに自主練をしていたりとサイドストーリーが描かれている。女の子が乗っていたバス自体も、いろいろなシーンの背景でさりげなく、走っていることに気づく。
いや、サイドストーリーという言い方もふさわしくないんだろうな。サイドも何も、みんな同じ重さの感覚だから。
「きょうはそらにまるいつき」
ここにきて、タイトルでもあり、本文でもたびたび繰り返されているそのフレーズがストン、と落ちる。
主役はだれかひとり、ではなくて、それぞれのひとりひとり、ぜんぶ。えぶりわん。えぶりわんが、それぞれに、まるいつきのある夜を過ごしている。ただ、それだけだ。
でもただそれだけのことを、なんでこんなに愛しく思うんだろう。
夜泣きがひどい時期とかに、読むと、なんであんなに励まされたんだろうね。
ところどころ、まちではなくて野生の動物たちの夜が切り取られたシーンも挟まれるんだけど、クジラが大海原でジャンプするシーンを読むたび、わたしは星野道夫さんの文章を思い出す。
とおいとおいうみでクジラがおおきくおおきくはねました
きょうはそらにまるいつき
(『きょうはそらにまるいつき』荒井良二/偕成社)
その時、彼はこう言った。「仕事は忙しかったけれど、本当にアラスカに来てよかった。なぜかって? 東京で忙しい日々を送っているその時、アラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない。そのことを知れただけでよかったんだ」
僕には彼の気持ちが痛いほどよくわかった。日々の暮らしに追われている時、もうひとつ別の時間が流れている。それを悠久の自然と言っても良いだろう。そのことを知ることができたなら、いや想像でも心の片隅に意識することができたなら、それは生きてゆくうえでひとつの力になるような気がするのだ。
(『長い旅の途上』星野道夫/文春文庫)
あらためていま、本棚から星野さんの本を引っ張り出してきてこの文章を読み返して、「ああ、これがすべてだ」と思った。
そのことを知ることができたなら、いや想像でも心の片隅に意識することができたなら。
だから、右も左もわからないはじめての育児中、この絵本にしみじみと癒やされ、励まされたんだろう。
離乳食とおとなの食事を作るだけで、自分ごとは何の進捗もないのにいつのまにか1日が終わっている、あの日々はいったい何だったのかと今では思うけど、そんな日々の中で、この絵本は確かに救いだった。
当時は図書館で借りて読んだのだけど、それから数年たった今、やっぱり読みたいときに読めるように手元に置いておきたくて、数年越しに購入した。
改めて表紙を見ただけで、その美しさに「ああ、やっぱり買ってよかったなぁ」と思ったし、ページをめくっていくと、なんだか気持ちがいっぱいになった。
当時は生まれたばかりだった子は、もう「みて。靴を買った男の子、ここにもいるよ!」と指さして発見できたりするくらいになった。すばらしいことです。
『あさになったのでまどをあけますよ』とともに、この本は長く長く楽しんでゆきたい。
ためし読みしたい方はこちらから。
(絵本ナビのサイト内、『きょうはそらにまるいつき』のページにジャンプします)
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