ひとくちに絵本を好きといっても、その好きになり方はひとによってさまざまだなあと思う。そこにいいわるいはなくて、みんな自分の好きなように、絵本を楽しんでいればそれでいい。
わたしの場合は、読む絵本は雑多だけれど「惹かれる絵本」はかなり偏っている。そうして、ああ好きだなあと思うと、まずその作家さんに興味を持ち、その方がどんな方なのかを知りたい、と強く思う。
そんな性質があるので、気が向くと図書館で絵本作家・童話作家のエッセイコーナーにふらふらと行き、たびたび数冊の本を抱えて帰ってくる。叶うなら図書館に泊まってずうっと気になる本を読み続けたいけれどそうもいかないので、熱燗のごとく、ちびちび楽しませてもらいながら読んでいる。
ほんとうは1冊1冊ていねいにご紹介したいのだが、仕事のかたわらだとなかなか難しく、そう言い訳しているあいだに結局さらさらと流れて忘れていってしまうくらいなら、せめて複数冊を一度にでも、ひとことずつコメントを添えて記録してゆこうと思い立った。
ということで今回は、ここ数週間で読んだ、絵本作家・童話作家関連の4冊を。
今回は長新太さん、内田麟太郎さん、斎藤洋さん、角野栄子さんにまつわる本を読みました。
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『長新太の脳内地図』(原島恵 ほか/東京美術)
長さんの人物像については別冊太陽の『長新太 ユーモアとナンセンスの王様』も持っているのだけれど、こちらの図録の存在は今回はじめて知った。奥付には「※本書は没後10年『長新太の脳内地図展』の共通図録兼用書籍として刊行したものである」とある。
内容は図録というとおり、長新太氏の作品を網羅的にぎゅぎゅぎゅとつめこんで、それぞれに解説などを添えているもの。それはもうじっくりとページをめくってもらえたらいいのだが、個人的には2015年から2016年というわりと最近に、日本各地でそんな展示会が行われていたのか……!と衝撃だった。
私が長さんの絵本に出会いのめり込んでいったのは2017年のことなので、2015年は関東に暮らしていたというのに、長さんのことを知らなかったことが悔やまれる。
また個人的には巻末の「略年譜」を見て新鮮な気持ちにおそわれた。当たり前なのだけれど、長新太さんは生前から数々の絵本賞を受賞し、各地で原画展などの展示会をひらいている。
そのなかには1990年代や2000年代など、わたしがすでに記憶のある年代もあった。そうか、その当時、長さんはリアルタイムでご活躍されていたのだな……と思うと、なんともいえない気持ちになる。
むりな話だが、当時の自分にいまの気持ちがあれば、長さんの新作をどれほど楽しみに生きていただろう。なんて妄想してしまう。
とりあえず、没後20年、2025年の展示会開催を切望している読者がいることをここに書き添えておきたい。長新太展が開催されるなら飛行機でだってかけつける。
『絵本があってよかったな』(内田麟太郎/架空社)
長新太さんを好きになったのをきっかけに、必然的に出会うことも増えた内田麟太郎さんの文章。
この本は、背表紙に『絵本があってよかったな』のタイトルと内田麟太郎さんのお名前を見つけてそもそも読みたい!と思って棚から引き抜いたら、表紙絵に長さん(の描いたであろう桃)がいて、読まねば!といっそう思いが強まった。
「はじめに」の文章からさすが内田麟太郎氏という感じで、軽快なリズムと楽しい語り口に読み手は一気に引き込まれる。
ただ、その後に語られてゆく幼児期の話は、軽快な入り口からは落差のある、心にずしんときていろいろ考えさせられるようなストーリーもつづられていて、なかなかさらりとは読めず、一つひとつじっくりと、ゆっくりと、読んだ。
最後の方には、「絵本・テキスト作法」も収録されている。絵本には絵童話と絵本がある。これまでも目にしたことはあったけれど、意識的に自立していない文章、絵を必要としている文章を書く、それは童話作家とは違うということについて理解を深めることができた。
数年前に絵本テキスト大賞にチャレンジして惨敗した記憶があるけれど、今度はわら半紙を八等分して、めくりの効果を考えながら、絵本テキストづくり、またチャレンジしてみたいなあ。
『童話作家はいかが』(斎藤洋/講談社)
これも背表紙とタイトルに惹かれて引き出したら、表紙絵が高畠純だ!(敬称をつけないのが最高の敬称である……こともある、という本書の教えにのっとりここだけ敬称略)と思ってもう一段、興味をそそられてしまった1冊。
個人的にここ最近、手づくりのZINEなどでもいいから子ども向けにお話を書いたり、せめてわが子へ寝る前に「おはなしして!」と言われたときにもっとおもしろいお話ができるようになりたいなあという思いが常々あり。
そこへきて目次のなかに「話を思いつくケース1」「話をおもいつくケース2」…などと書いてあったから、ああ、知りたいわそれ!と思って拝読した。
ちなみに本書のなかで一番参考になったのは、「話を思いつくケース2」の、ひたすらペンギンのことを考えるあたり。ぜひ実際の書籍で読んでほしい。
ちなみにその後、子と車にのっているとき、子に好きな動物を言ってもらい、その動物についてひたすら考えて実践してみたら、いつもとは違う広がりの即席話が生まれたような気がした。もっと練習せねばとは思うけれど、たのしいヒントをもらえたなと思う。
全体の読み心地としても作者の人物像……というか人間味のようなところが伝わってきて、とてもおもしろかった。『ルドルフとイッパイアッテナ』、題名は知っていたけれど読んだことがなかったので、今度ぜひ読んでみたい。
『角野栄子 エブリデイマジック』(角野栄子/平凡社)
ご存知「魔女の宅急便」の原作者でもある角野栄子さん。以前NHKで、毎日着ているというオーダーメイドのワンピースを軸にしたドキュメンタリーをやっていたのを見たことがあり、暮らしやおしゃれも素敵だなあと思っていた。
本書はそんな角野さんの作品や暮らし、旅などのこれまでと今を、たくさんのカラー写真を交えて紹介しているもの。
角野さんは昔、ブラジルに暮らしていたことがある。わたしももともと旅好き、かつ最近は娘とふたり旅が気になっていたこともあり、本書内の引用元として記載されていた娘さんとのブラジル再訪記『ブラジル、娘とふたり旅』がものすごく気になって、読んでいるその場で発注してしまった。
また、後ろのほうにある「私は書くことが好きなんだ!」の内容も、書くことを仕事の一部にしているひとりとして、また創作という方向性に脳みそをひらいていくにはどうしたらいいんだろうと悩むことの多い自分にとって、とても心に残った。
以下、何度も思い出したい箇所を少しだけ、引用させていただく。
“日常的なことから心を自由にすること”
“童話を書くんじゃなくて、自分が楽しいと思うお話を書くのですから。そして、頭の中に人が読むという気持ちを持たないこと、これはとっても大事です。自分が好きだから書いてるのであって、見せようとする気持ちもまた、その人から自由な気持ちをなくしてしまいます。(中略)世の中のいろんなことから自由にならないと、あなたらしい作品は生まれてこないでしょう。”
“そんなふうにして、なんでもいいから書く。書けなかったら、絵でも落書きでもいい。書くことに体が慣れるように、毎日毎日書くことです。「きのう三枚書いたから、きょうはもういいわ」ではなくて、とにかくコンスタントに書く。そうやって、考えるスピードと手の動きが、同じ速度になれるのに慣れる。”
『角野栄子エブリデイマジック』(角野栄子/平凡社)p92-94より引用
角野さんは、ひとつの風景や、ひとりの人物が自分のなかに見えたときに、書き始めることができるそう。何から書き始めたらいいかわからないときは、その主人公の情報を書いていく…‥というのは、なるほど、と思った。
この本をきっかけに調べて知ったけれど、2023年11月、江戸川区に角野栄子さんの作品の世界観などを発信する「魔法の文学館(江戸川区角野栄子児童文学館)」ができるらしい。関東へ行くときにはぜひ立ち寄りたい。
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以上、今回の記録は終わり。
どの本を読んでいても、さすが作家さんたちの本であるから、「その本のなかで紹介されている本」をさらに読みたくなって終わりがない。
この他にもまだまだ、読みたい本がたくさんあふれていて、大渋滞だ。いったいみんなどうやって本を読んでいるんだろう。
読みたいし、書きたいし、読みたいし、書きたい。
この3年ほど置いてきてしまった自分を、今年はたいせつにすると決めている。