うらしまたろうの絵本はたくさんある。試しに絵本ナビで「うらしまたろう 絵本」で検索すると、54件見つかりました、とのこと。
私はこのなかのすべてを読んだわけではないけれど、数冊を見比べるだけでも、絵はもちろん、ストーリーにも微妙な違いがあったりしておもしろい。
今回の絵本紹介は、松谷みよ子文、いわさきちひろ絵、による『うらしまたろう』(偕成社)。
子が図書館で本を選ぶときに自分で入れていて、それでわたしは初めて知ったもの。
ただひと目見て、ああ、いわさきちひろさんの絵だ!と素敵だなあと思い、よく見ると文は松谷みよ子さんというではないか。
松谷みよ子さんといえば『いないいないばあ』や『いいおかお』(いずれも童心社)など、赤子を育てた人であればまず目にしたことのある赤ちゃん絵本を書いた、他にも多数著作のある有名な作家さん(個人的には『あめこんこん(講談社)』が好き。作中に出てくる歌のリズム感がとてもよくて)。
そしていわさきちひろさんの絵は、私が子どものころから母が好きで、家ではいわさきちひろさんの絵葉書などを飾ったりもしていて、子ども心にも優しい色づかいや柔らかなタッチがすてきだな、と感じて育った。
このおふたりが組んだ『うらしまたろう』と聞いて、読みたくないわけがない。
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表紙からしてまず惹かれるのは、やはり絵の雰囲気。
亀やうらしまたろうを引き立てながら、背景に描かれている魚たち、海藻などの淡い色合いや色の重なりが美しくて、見入ってしまう。
表紙、内表紙ですでに、映画の序章みたいにその世界観にすーっ、と入っていく感じがして、好きだ。
物語がはじまっても、その世界観というか、やさしい夢の中のようなトーンのなかでお話が進んでゆく。
お話のなかで最初に印象的だったのは、助けた亀が「ごしきに かがやく かめであった」というところ。
そもそも、省略されたストーリーではよく「助けた亀に連れられて」となっているが、このお話では助けられたのは五色に輝く小さな小さな亀であり、その翌日に、別の大きな亀が太郎を迎えにくる、という展開だ。
五色に輝く亀が乙姫さまだったと後にわかるのだけれど、その亀が最初に登場するシーンで「ごしきに かがやく かめであった」と表現するのが、とても印象に残った。
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もうひとつ印象に残ったのは、竜宮城で魚の舞を見るだけでなく、御殿のなかのふすまを開けたところで「田植えのシーン」を見ているところ。
“たろうが じっと みていると、なんと ふしぎなことに、うえたばかりの いねは、みるまに ずんずんと のびていく。まわりの けしきも、それにつれて、いちめん あおあおと しげった なつに なった。
とおもうまに、いねは、おもたく、ほをたれて、かぜの おとも すずしく、あたりは あきに なっていた。”“やがて、ゆきが ふりだした。たも、はたけも、とおい やまも、ゆきに うもれた。うらしまたろうは おどろいて、ぼんやりと たっていた。”
(『うらしまたろう』松谷みよ子・文、いわさきちひろ・絵、偕成社より)
こうした描写は、よくある聞くストーリーではまず描かれないところだと思う。
ただこの様子が描かれるなかで、だんだんと幻想的というか、夢のなかのような、はっきりとしない、また時空が別のような、浮遊感のある感じが伝わってきて、大人が読んでいると結末への予兆、みたいなものを感じたりもする。
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そうしてもうひとつ、個人的にささったのが、たろうが自分の村に戻って「うらしまたろうの いえは ここではないのか。」とたずねたときの、村人の答え。
“うらしまたろうだと? ああ、三びゃくねん まえに りょうへ いったまま いなくなったという たろうの いえか。とっくに くさって たおれたよ。”
(『うらしまたろう』松谷みよ子・文、いわさきちひろ・絵、偕成社より)
こまかいところをいえば、300年たってもそんなにすぐ「ああ、そのたろうね」とわかるものなの?という疑問もあったりするのだけども。
個人的には、「とっくに なくなったよ」などでなく、「とっくに くさって たおれたよ」という具体的な描写が、妙に胸に残った。リアルさ、みたいなものを、より感じたのかもしれない。
それまではどこか、うらしまたろうっておとぎ話でしょ、という気持ちでいつも読んでいたけれど、くさって倒れる、という生々しい描写によって、自分の生きる世界と重なった感覚というか。そして実際、今から300年立つと、自分のことを思い出したりする人もいないのだろうな、なんて思いを馳せる。はかないものだな、人生は。
……って、いつの世の人も思いながら、うらしまたろうは読みつがれてきたのかもしれない。
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寝る前に、6歳の娘に読んだ。
自分が聞き慣れている「うらしまたろう」と違うところもあったけれど、めずらしく途中で口を挟むこともなく、おとなしく聞いていた。
ただ、たろうがおじいさんに変わってしまうシーンでは、「うらしまたろう、ひとりでだいじょうぶかなー」としきりに言っていた。ね、本当に。本当に自分がたろうだったとしたら、ちょっと私は耐えられそうにない。
ただ娘は、本を閉じたあとでは、けろっとして「ああ、おもしろかったー」と。
なにかと自分に引き寄せて考えてしまうおとなと違って、子どもはお話をお話として純粋に楽しむことができるのかもな、と思ったりする。
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今回これを書くにあたって調べていたら、福音館書店の『うらしまたろう』の解説に「おなじみの昔話を、古代の文献にまでさかのぼり精査して再話しました」とあり、俄然こちらも読んでみたくなった。
今度はこちらも読んで、またその読書記録も書けたらなと思います。