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母、ひとり旅を思い出す。ぶらり由布院【前編】旅のはじまりと、お宿のこと。-photo essay-

2023年2月27日

ひとり旅をしたのは、いったい何年ぶりだろう。

「誰かに会うためにひとりで移動をする旅」なら、家庭をもってからもわりあいしてきているほうだと思う。出張でも、プライベートでも。

ただ、やることを決めずに、その場についてから行き当たりばったり、心のおもむくままにぶらぶら歩くというひとり旅は、本当にひさしぶりだった。

そうしてひさびさにそんな時間を過ごすと、過去に置いてきてしまったいろんな感情や、自分自身の基盤みたいなものを思い出す。

置いてきた、気づかず封じ込めたような、旅ばかりしていたあのころの自分。

そしていま、子育てや仕事、暮らしにどっぷりつかって、平穏に生きる自分。

どちらがよいとはわたしには絶対言えなくて、どちらの幸せにも触れてしまったからこそ、どちらにもこのうえない喜びがある、と思う。

ただそれまで、わたしの中でそのふたつの自分は分断していた。

時間にすれば、わずか1日ばかり。

由布院で過ごしたその時間が、過去の自分といまの自分を、出会わせてくれたような気がしている。

 

旅までの、道のり

旅のきっかけは、由布院でひとつの取材仕事が入ったこと。

わたしの住む場所から由布院駅までは、電車を乗りついで片道4時間ほどの道のり。滞在2時間ほどで日帰りも、可能ではある。

ただ、取材日が週末にかかる日程だったこともあり、せっかく移動するなら、1泊して、ひとりでゆっくり温泉に浸かってから帰ってきたいなあ、という気持ちが心に浮かんだ。

ここで、独身時代の自分であれば一寸の迷いもなく「当然!」くらいの心持ちだったのが、子との暮らしも大事にしたい今となっては、一寸どころか一尺くらいは迷う。

どちらの幸せも知っているからこその、ぜいたくな悩みだと思う。

そしてもし心を決めて「ひとり旅」を選択するなら、まず必要になってくるのが、家族やそれに準ずる協力者への協力要請だ。

ちなみにこの手順についてはそれぞれの協力者との関係によりけりなので、一律の正解は存在しない。

わたしの場合は夫に、「ちょっとスケジュールのご相談なんですけど……。この日、仕事がここであって、次の日休みだから、もし夫さんが大丈夫だったら、ひとりで一泊してきてもいい……かなあ?」とおずおずと(する必要はべつにないのだけれどなんとなくしながら)切り出し、夫が予定を確認して問題なければ、まず子を夫に託す協力要請が完了する。感謝。

そしてもうひとつ、娘にも協力要請が必要だ。

ただこれについては出張などでの経験上、もう宿を確保して、実現可能な手はずを整えてから、決定事項として相談させてもらうことにしている。

そうでないと、「え〜!やだ!ままといっしょにいたいもん」のひとことで母性に軍配があがり(つまり娘のせいではなく自分の気持ちとして)、にっちもさっちも動けなくなってしまうからだ。

決意を固めて宿を手配したあとは、娘へその理解を頂戴し、当日なるべく夫と平穏に楽しく過ごす協定を結んでもらうことになる。

ポイントは直前じゃなく、少なくとも1週間くらい前から、何度も繰り返し言って、心の準備をしてもらうこと。

「ねーねー、お母さんさ、来週のこの日、お仕事でちょっと遠くまでいくから、その日1日だけお泊まりしてくるからね。パパとなかよしで過ごしてね」

ということを一度ではなく、ことあるごとにちょくちょく伝え、もちろん前日にもしっかりリマインドすることで、娘も送り出し体制に入ってくれる。

反対に、まだ自分でも迷っている段階で相談して、「ひとりで泊まってこようかなって考えてて……」と少しでも未定感をだそうものなら。「え〜、やだ〜!!!」または「○○も行く〜!!」など、ひとり旅どころではない方向に行くこと間違いなしである。

さて、今回は前者の流れにのっとり無事了承してくれたものの、娘自身も好きな「温泉」と聞いて、「温泉いーなー。○○も行きたい!」と言う。

いや、そりゃあそうだよな。宿の予約をしていなかったら私もすぐにぐらぐらして、「そうだよね……やっぱり家族で行くか……」となるところだ。

でも、宿予約をシングルで終えている私は強い。

「ぐっ、そうだよね……。うん。よし、家族でもまた別の日に、温泉旅行しよう!」

そう応対して、とりあえず今回は無事、ひとり旅への手はずを整えたのだった。

家族で温泉旅行と、温泉地へのひとり旅は、どちらも幸せなことに変わりはないが、そこで満たされる感情は似て非なるものである。

娘よ、今回ばかりは後者をしたいのです母は。ありがとう、ありがとう、ありがとう。

自分の気持ちだけでふらっとひとり旅に出ていたころからすれば、旅へ出るまでのステップがすでに難儀ではあるけれど、家庭をもっても、子が小さくても、ほんとうに自分が望むなら、ひとり旅へ出ることはできる。

それに、こうして自分を必要としてくれる人たちがいてくれることもまた、最高にありがたい幸せのかたちのひとつなのだと、いまでは自覚している。

そして大事なことだが、だれもが旅に出ないといけないわけでもない。それはその人がその時点において、優先したい別の幸せを、選択しているのだと思うから。

 

いざ、由布院へ

とにかく、準備は整った。

仕事の準備だけでばたばたしていて、観光については何の下調べもないまま、当日を迎える。

なんとかなるさ、ここは日本だ。

早朝、まだ暗いうちにカメラとPCを背負って家を出て、博多から由布院行きの特急に乗る。

車内に入って気づいたのは、中国や韓国のお客さんの多さ。

自分をふくめ日本人もちらほらはいたけれど、金曜日とぎりぎり平日なこともあってか、外国の方のほうが多いように感じる。

ふーんそうか、アジア圏の方にも由布院って人気なんだなあ。その時点では、そのくらいの軽い感覚だった。

しかし由布院駅につき、駅前に広がるアジア勢の群衆、飛び交う中国語や韓国語の渦に接して、「どうやらこれは、そういうレベルじゃないな」と気づく。

あとから由布院の方に教えてもらったことだが、時は旧正月に差しかかるころ。

もともと海外からの来客も多いそうだけど、その日はさらに大型連休中とあって、明らかに日本人よりも中国・韓国のみなさんのほうが多かったのだ。

聞こえてくる会話も、日本語より韓国語や中国語のほうが多いくらい。

その日は朝から長いこと電車にごとごと揺られてきたこともあり、耳から入ってくる響きと見慣れないまちの光景が「あれ、わたし、今日どこに来たんだったっけ」という気分に拍車をかける。

はて、どこか外国へ来たのだったかな。

実際、九州から韓国は近いし、いつのまにか違う時空に迷い込んだのかもしれない。

そんな物語をはじめたくなるけれど、まずは仕事が控えている。

 

ひとり旅、開始

まずは2、3時間ほどで、仕事の取材を終えた。

ここからはスイッチを切り替えて、プライベートタイムへ。

まずは翌日、帰路につく切符を買うために一度駅へ……戻る前に、宿へ荷物を置かせてもらいに向かう。

宿については後ほど書くけれど、気さくなおかみさんのいるこじんまりとしたお宿で、「チェックイン前なんですけど荷物置かせてもらっていいですか?」と聞いたら、快く預かってくれた。

身軽になったところで、駅へ向かう。

ところで、なぜわたしが先ほどから切符、切符と言っているかというと、この数日前、行きの特急切符を買おうとしたら、目当ての切符はすでに売り切れだったからだ。

そのときは数日前だったので時間を前倒して対応できたが、"当日購入でも大丈夫でしょ”とたかをくくっていたら、たいへんなことになるところだった。

そんな背景があったので、何はさておき復路の切符を確保、と思った次第。気のむくままに歩いてみるのはそれからだ。

宿から駅までは、歩いて15分ほど。

道中では人力車を置いて客引きをしているお兄さんたちがいて、お客になるつもりの自分が何度もその前を通るのがなんだか申し訳ないなあと思いつつ。

でもそこはやっぱり便利な道で、結局何度も通った。

すまない、お兄さんたち。

無事、駅で翌日の切符を書い、晴れて心はぶらぶらお散歩モードへ。

しかし、この日は寒かった。

とりあえず観光のメインストリートである湯の坪街道方面へ戻ろうと思って歩いていたら、途中で小雨が降り出して、寒さと雨で手がかじかむ。

ひとまず道中の雑貨屋さんで雨宿り。ひさびさにゆっくりと木製の雑貨をみたりしているうち、「あ、そうだ、今日はこれからひとり旅の時間なんだ」とあらためて実感しはじめ、なんともいえない高揚感が心の底のほうでふつふつと沸き起こる。

少し体温を取り戻して、湯の坪街道をぶらぶら。

そもそも、観光にあたっては特にプランがあるわけでもない。

ひとり旅の醍醐味といえば「その場の気分次第で心のおもむくままに」だと思っているので、特に不安も感じず、とりあえずこの場に来てみたというところ。

ぶらぶらしていたら、なんだかかわいらしい通りを見つけた。

後から調べたら、「湯布院フローラルヴィレッジ」という観光スポットらしい。

まち並みはおもしろいなと思ったけれど、キャラクターものを多く扱うようなスポットで、個人的にはあんまり心がそそられず、さくっと歩いて出る。

中のショップよりも、出入り口付近にいたリスがかわいくて、少し写真を撮った。

 

 

お宿へ帰ろう、そうしよう

湯の坪通りにはお土産屋さんが立ち並んでいて、何件かふらっとのぞいてみたけれど、これぞ!というものには出会えず。

何より体が冷え切ってきたので、チェックイン時間になって早々、お宿へもどる。

お宿は、「カントリーイン麓舎」。

見つけたきっかけは、宿の検索サイトで2食付き、1万円台前半で検索したこと。

相場の高い由布院の温泉宿で、2食付きでその価格帯というリーズナブルさ、お料理やお風呂、おかみさんの評判がよかったこと、お宿の写真がこじんまりとアットホームだったことで、ほぼ一択だった。

チェックインのためにフロントへ行ったら、おかみさんが荷物をあずけたことを覚えてくれていて、「あら、おかえりなさい」と迎えてくれた。もうすでに、いいお宿。

自動販売機はなく、そのかわりフロント横にミニ冷蔵庫がおかれ、飲料のペットボトルがいくつか入れてあった。飲みたい人は横の入れものにお金を入れて自由にとっていくシステム。こういうシステムが成り立つ感じ、心地いいな。

お部屋へ入ると、預けた荷物がちょこんとソファに載せられていた。当然のように運んでおいてくれるの、ありがたい。

ひとりにはもったいないくらい、ゆったりとしたお部屋。

出張で都市部のビジネスホテルに泊まることは何度かあったけれど、それとは違うぬくもりと、窓から見える山々の景色に心がくつろぐ。

ひと息ついたら温泉に入ろうかと思っていたけれど、PCを広げて仕事の諸連絡をしたり、写真を取り込んで編集したりとなんやかんやしているうちに、夕食の時刻が近づいていた。

ぱたんとPCを閉じて、ゆったり夕食会場へ向かうことに。

夕食は、歩いてすぐの別棟にあるレストラン。

日が暮れてゆく時間帯をひとり、外で過ごすのはめずらしいこと。その特別感に、そわそわとわくわくが入り交じる。

席へつくと、「お飲み物はいかがですか?」とサービスの方が声をかけてくれた。

普段からひとりでお酒を飲むほうではなく、ごはんのあともちょっとだけ仕事しようかなという気持ちもあり、今日のところはお冷で。

……と一度は思ったものの、前菜をいただくうちに「いや、これワインと合いそう。せっかくの記念すべきひとり旅だし、やっぱり飲もうかなあ……」と逡巡し始める。

"うん、そうだ!やっぱり今日は特別だし、飲もう”。

心のなかで決意したころには、もうメイン直前。完全にタイミングを逃している。まあいいか、そんな間のわるさも含めて思い出だ。

都合よく解釈し、途中から1杯だけグラスワインを注文。

ちなみにメインはお肉とお魚のコースがあり、予約時に選ぶ。わたしはお魚のコース。

ということで、他のお客さんはメインを食べるときにごはんも一緒にという感じだったのだけど、わたしは(自らタイミングを逃して)ワインを飲みはじめたばかりだったので、ごはんを運ぶのを少し待ってもらった。

グラスワインを飲み終えるころにはすっかり、メインのお料理は胃袋のなか。

心のなかで自分に苦笑していたら、なんとサービスの方がお漬物にくわえて、「メインのお料理なくなられたので、お海苔もお持ちしました」と、海苔としょうゆも一緒に持ってきてくれた。

こういう、肩肘ははらないけれどお母さんみたいな温かい心づかい、日ごろお母さんをやっていると泣きそうなくらい染みる。

誰かに出してもらうごはんと海苔とお漬物は、じんとするほど、おいしかった。

幸せを噛みしめていると、さらなる幸せの極みが運ばれてきた。

デザート、クリームブリュレ。

表面のお砂糖がパリパリッと飴状になっているのが、とっても好きだった。写真を見ていまこれを書きながら、舌がその食感と味わいを思い出してお腹が空いてしまう。

おいしいものに出会うと、娘にも食べさせてあげたいなあ、と自動的に思うようになるのは、いつからだっただろう。

ひとりを味わいたくてひとり旅を選ぶなかでも、旅先でなにか感動に出会うと、ああ、娘にも見せてあげたいな、食べさせてあげたいな、などと思う。そんな矛盾を抱えてもなお、ひとり旅でしか味わえない喜びがあるから、そういう旅もしたいと思うのだけれど。

食事を終えて、お宿へ戻る。

ホテルというより「おうち」の雰囲気があって、なんだかほっとした。

 

ひとり温泉という至福

お腹が落ち着いてから、温泉へ。

こちらのお宿のお風呂は、家族風呂サイズの小さい温泉(源泉かけ流し)が3か所あり、入っているときは「入ってます」の札を下げるという貸切スタイル。

時間で予約するなどの手間もいらず、空いていればふらっと入れるのがとてもありがたい。部屋数が多すぎないからこそ成り立つ、このスタイルがうれしい。

たまたま空いていた、内風呂+小さな露天風呂があるところに入る。

ひとことでいうと、ひとり温泉、最高。これに尽きる。

わが家では娘が温泉好きなこともあり、普段から週末、家族で日帰り温泉や、スーパー銭湯へ行く機会は多い。

ただわたしは常に娘とセットなので、まず娘をトイレに行かせて……と浴室へ入る前からすったもんだ。中へ入れば入ったで娘の髪を洗うところから始まり、子を待たせている間にぴゃっと自分を洗って、その間にも子がすべったり、冷えたり、はたまた周囲のひとに水しぶきを飛び散らせたりしないか薄目でチェックしていたりして、洗い場では常に臨戦態勢である。

いざ温泉に入っても、自分が温まる前に娘が「次のおふろ」と言い出し、カラスの行水よろしくいろんな浴槽を転々として、「そろそろのぼせそうだから出ようか」というと「まだ!」と言われ、とても自分のペースでは入れない。もちろんサウナなど併設されていても、横目でうらやましそうに眺めて通り過ぎるだけ。

……いや、それも期間限定の大きな幸せだ。その楽しさも喜びも大いに承知している。ただこの日ばかりは、心ゆくまで、自分のペースで入るひとり温泉を堪能した。

そうやってひとり時間を心ゆくまで堪能させてもらっていると、不思議なもので、日頃よりもさらに家族への感謝の気持ちがぼこぼことわいてくる。

夫のスマホあてに、ひらがなだけでメッセージを打ち、朝ばたばたしていてちゃんと話を聞けなかったお詫びと、おかげでちゃんと間に合ってお仕事できた感謝と、明日の夜までパパと仲良くね、娘ちゃんのこと大好きだよという旨をつたえた。その日撮ったリスの写真も添えて。

返信として、ボイスメッセージが送られてきた。

「おみやげかうのわすれないでね。ままのこといつもだいすきだよ。にっこりハート。おしまい!」

ひとり、宿の部屋で再生する子の声の、なんと愛らしいことか。

季節はまったく違うけど、昔、自分が読んだ短歌を思い出した。

“はつなつの白桃ティラミス 雨上がり 好きだから離れることもある”

物理的な距離を置くことで愛しさが募ること、あるよなあ。

 

明日は、冒険。

寝る前、明日はどうしようかな、と由布院観光について少しだけリサーチしてみる。

明日の予定が何も決まっていなくて、「さて何しよっかな」とゼロから考えていいこの感じ、ひさびさだ。長い旅をしていたときの感覚を思い出す。すべては自分次第だ。

調べていて、「COMICO ART MUSEUM」という美術館が気になった。もともと旅先で美術館に行くことが好きなこともあり、とりあえずここは行ってみようか、と思う。

また、宿を予約するときには知らなかったのだけど、金鱗湖という朝霧で有名な湖が、宿から歩いて5分ほどのところにあるらしい。しかも寒い季節は、早朝に美しい朝霧が見られるという。

寒い季節って今じゃん。しかも早朝って、日帰りしてたら絶対見られないということじゃん。 せっかく偶然にも冬に来て、一泊するのだから、そこにもぜひ行こうと決めた。

金鱗湖と、美術館。とりあえずその2つだけ決め、あとは行き当たりばったりで行こう。そんなことを考えながら、朝霧のために目覚ましをセットして眠った。

後編へつづく)

母、ひとり旅を思い出す。ぶらり由布院【後編】朝霧と、わたくし美術館と冒険。-photo essay-

2日目に訪れた、わたくし美術館の一枚から。 ▼前編はこちら。 とりあえず行ってみようか金鱗湖。 さて、2日目。 旅に出る前は、「家族の朝ごはんをつくらなくていい朝なんて! たまにはゆっくりと朝寝坊を味 ...

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