※本シリーズ(vol.1〜6)は2019年に書いた過去noteより転載するものです。当時とは感じ方など変わっているところもありますが、当時の記憶として、そのまま載せてゆきたいと思います。
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さあさあ、今回もたんたんと。
今回も夫の図書カードとあわせて計15冊くらい借りた絵本の中から、我が家でよく読まれた5冊を。
無意識に、前回とりあげていた作者さんの作品をまた借りていたことに、借りたあとで「ああ!」と気づいたり。
いままでのように何気なく、借りては返して……を繰り返していただけだったら、あまり意識することはなかったかもしれない。でもこの『たんたんと、絵本の記録を』シリーズを書き始めてから、ひとつひとつの作品にしっかりと意識が向くようになったような気がする。
ああ、自分はこういう作風とか色彩が好きなんだなとか、この作者さんはこんな絵も描かれるのだなとか。最近もの忘れの激しい自分の脳内で、少しだけでもくっきりと、輪郭を残せるようになったのは、よかったなあと思う。
さてさて、それではさっそくゆきましょう〜。
※『たんたんと、絵本の記録を』シリーズをはじめた気持ちの背景はvol.1にて。
最近のお気に入り絵本(娘2歳6ヵ月)/2019年7月
※ちなみに「お気に入り」とは、娘が気に入ったもの、わたしが気に入ったもの、2人とも気に入ったもの、どれでも可というゆるい運用です。
『おとうさん・パパ・おとうちゃん』(みやにしたつや/鈴木出版)
図書館で見かけたとき、人の「顔」がたくさん出てくるのと、「パパ」という身近なテーマが娘の興味をひきそうだな、と思って借りてみた一冊。
案の定、家に帰って読んでみると、2歳の娘の反応は上々。くりかえし読んでとせがまれて、しめしめ、となった(笑)。文字も少なく、ちょうどよい短さなので繰り返しでも読みやすい。
構成としては、いろいろな親子のおとうさんの、「家」での顔と、「おしごとしているとき」の顔を、2ページ1組でリズミカルに紹介してゆくもの。
たとえば、「掃除機をかけているおとうさん」が絵で描かれたページに
ぼくは「おとうさん」ってよんでるけど
という文言があり、次のページをめくると、
おしごとしているときには「げんばかんとく」ってよばれてる
と書かれていて、工事現場でヘルメットをかぶった仕事中のおとうさんが描かれている……みたいに。
この「家」→「おしごと」の2ページ1組のリズムも読み聞かせしやすくて、娘も、「〜ってよんでるけど」とわたしが読んだあとの間に、毎回「うんー」って合いの手を入れてくれるのが、とてもかわいかった。
最後に出てくるおとうちゃんの職業が予想外の方向でびっくり、かつ楽しい。みんなそれぞれ違って、いろんなおしごとしているんだね、違うから楽しいねえ。ってことが、なんとなくでも、伝わったらうれしいなあ。
『ちいさなきしゃ』(五味太郎/岩崎書店)
0〜2歳くらいの子と遊びながら読むのにいいなあ、と思った一冊。
寝ている男の子の指先から、"ちいさなきしゃ”がはしりはじめて、おなかを通って足の方へ……。
そんなようすを描くページの絵にあわせて、「しゅっしゅっぽっぽっ」と言いながら、手で汽車のうごきをまねて、実際に子どもの手やおなかや足をさわってゆくと、子は「うへへへへへ!」「うきゃーー!!」と大笑い。
安定の五味太郎さん作なので、母サイドも読んでいてなんとなく落ち着くしどこか懐かしい。それにコントラストのはっきりした絵と、ひとと汽車、というわかりやすいモチーフは、子どもにもスッと理解しやすいみたい。
安定、安心、心の拠り所、落ち着く、ときどき、ちょっとニヤリ。私の中での五味太郎さんはそんな感じ。ああ、落ち着くなあ。
親子で一緒にあそんでね、と0歳や1歳の子へのプレゼントにもよさそうだなあと思った。
『ユックリとジョジョニ』(荒井良二/ほるぷ出版)
毎度おなじみ、わたしが勝手にファンの荒井良二さんの絵本を今回も。
歌が上手な男の子ユックリと、ダンスが得意な女の子ジョジョニのお話。
もうね、これはタイトルからして好き。というか、おとなにこそ贈りたくなっちゃう。絵本を読んだあとに、表紙を眺めながら母はとっても癒やされるというか、いいなあ、ああ、いいなあという気持ちになるのだ。表紙絵、壁に飾っておきたいくらい。
一見お洒落なオトナ向けの絵本にも思えるけれど、やはりそこは荒井さんワールドで。見ているだけで楽しくなっちゃうような鮮やかな色の組み合わせと、ダンスや音楽が紙面から立ち上ってくるみたいな、だいたんな体の動きを表す線。そして背景にちりばめられた、乗り物や動物たち。
ストーリーは完全に理解していないであろう2歳の娘も、母が読み聞かせているのをよく聞いて、最後までしっかり見ていたな。ときどき「バス!」とか「にゃんにゃん!」とか指さしながらね。
「ブーバ トリロリ」って、音楽好きなユックリがアコーディオンを弾く音が繰り返し表現されているんだけれど、まだまだ舌っ足らずな娘もリズムが気に入ったのか「ろりろり!」って言おうとしていて、とても微笑ましかった。
『はっぱじゃないよ ぼくがいる』(姉崎 一馬/アリス館)
これは図書館で、めずらしく夫が「これいいね!」とチョイスした一冊。
表紙からもわかるとおり、絵ではなくて写真を使った絵本。
森を歩いていて出会う、さまざまなはっぱたち。よく見ると、虫食いの穴や、風でこすれたりして削れた穴などがあいていて、その穴が目や口に見えてきて……。そんなふうに「顔」に見えるような穴あき葉っぱの写真が、次から次へと紹介されてゆく。
ちょうど娘は「おばけ」という概念(?)を得始めた時期だったので、葉っぱに穴の目や口がある顔が「おばけ」のイメージと結びついたみたい。たくさんの穴あき葉っぱが紹介されているページで「おっばっけ!」「おっばっけ!」と指差して興奮気味に言っていた(怖くはないらしい)。
ネズミみたいな形の葉っぱには「ちゅーちゅー」、狐みたいな葉っぱには「こんこん」と指差す娘。一枚一枚の表情(?)に愛嬌があって、タイトルのとおり「はっぱじゃないよ」と一枚一枚の葉が訴えかけてくるようで、それぞれの葉にやたらと愛しさがわいてくる。
自分が選ぶ本だけだとどうしても偏り気味なので、こうやって夫チョイス、みたいに、違うおもしろさを持つ絵本に出会えるのはいいことだし、娘の世界を広げるのに大切だなあと思う。
『こうまくん』
図書館で見かけて、ああ、きれいな色彩だなあ!と思って思わず借りたくなった一冊。
借りてから、なんだかこの絵やタッチに見覚えがあるなあ……?と思って記憶をたどったら、前回の記事で紹介した『しっぽがぴん』と同じ、きくちちきさんが作者だった。無意識に手が伸びたのだけど、やっぱり自分が惹かれるものには傾向があるのだなあ。
でも配色は『しっぽがぴん』がわりと古風な日本の伝統色というか、シックな原色よりのように感じたのに対して、こちらはパステルというか、やわらかく明るい色づかいで、イメージはがらりと違う。同じ作者さんの違う絵本に無意識で出会って、こうやって違いを感じたりするのは楽しい。母が。
最初から最後まで、「こうまくん」がひたすらに走るというお話なのだけれど、本自体も大型なのでとても迫力がある。そしてダイナミックな筆跡と構図からも、勢いが伝わってくる。筆のかすれや絵の具のしぶき、画面全体から疾走感がどんどんと。
ダイナミックな絵なので、近くで見すぎると絵の全体像が少し見えづらいことも。手元で読むよりも、紙芝居みたいにちょっとだけ離れて読むことで、より魅力が十分に感じられる一冊だと思った。
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それでは、今回はこのへんで。
先週末も図書館へ行き、もうすでに次の絵本たちも借りてきて、新しいお気に入りを見つけている娘。
0歳のころは、ただただ、噛まれ破かれボロボロになった絵本。1歳のときも、まったく話の展開を無視してどんどんページをめくる、その動作と紙の感触を楽しむだけだった絵本。
この半年ほどはなぜか、わたしに一冊手渡し、わたしがそれを読み聞かせはじめると、自分は別の絵本を勝手にめくって絵を鑑賞している、なんて個人スタイルも多い。もちろん、一緒に聞いてくれることもあるけれど。
子が生まれる前にぼんやり憧れを抱いていた「絵本の読み聞かせ」のイメージとはかけ離れたままのここ数年だけれど、それでも、腐らずあきらめずに絵本を身近に、生活の中にずっと置いてきて、よかったなと最近思う。
娘がなんとなくでも絵本が好きで、図書館へ行くのを楽しみにしてくれているのは、うれしい。
本はいいぞ。親に教えられないことも書いてあるし、親がすべてじゃないんだってこともわかるだろうし。本は、いいぞ。自分の脳みそと絵本さえあれば、頭のなかで音楽が流れたりするし。本は、いいぞ。開けばそこに、別の世界が広がっているから。連れ出してくれるから。
だから今日も、たくさん絵本を読もう。一見、一方通行でも、きみが別の絵本を無心にめくりながら、ちらちら見てくれているのを知っているから。今夜も腐らずに、声がかすれるまで読むよ、母ちゃんは。
※以上、過去note(2019年7月22日)より転載