
2023年に神奈川からスタートした荒井良二さんの展示会、「new born 荒井良二 いつも しらない ところへ たびする きぶんだった」。
2024年も全国を巡回されているのを見ながら、きっと九州にもいつか来てくれるはず、九州に来たら絶対に行くぞ〜、とわくわくしていたら、2025年秋、Xでこんなポストを目にした。
……え?
Hey you, ちょっとお待ちよ。
本展最後の目的地って……本展最後の目的地?!
九州にはいつ来てくれるのかな〜なんてのんきに構えていた私は、あまりの衝撃でその内容を受け止めるのに時間を要した。
ぴーー、きゅるるるるーががががが。
かつての家庭用FAXみたいに、脳はがんばって、拒否したい情報の処理をしていた。
しかし、いったんその事実を受けとめてからは、切り替えの早い方だ。
もう南下しないと決まっているならば、こちらから参るのみである。私のお財布事情など、展示会の運営陣にとっては知ったこっちゃないのだ(そりゃそう)。
かくして荒井良二さんの展示会に行きたいがために、いそいそと交通と宿を手配し、12月に1泊2日でふらりと神戸へ行ってきた。
会場での写真撮影はOKだったので、その一部を紹介しつつ、雑感を残しておきたい。

じっくりと巡った会場全体を通して、個人的に一番印象に残ったことは。
ものすごく感覚的になるけれど、「あふれ出るみたいにたくさんの色たちと、創造された無数の生命体たち(と思われるもの)があちらこちらで飛び回って遊んでいるような、充実したエネルギー」のようなものだった。



まずなによりも、荒井良二さんの作品たちのエネルギーが充満していてすさまじいのだけれど、それに加えて、荒井さんが各地で開催したワークショップでの広がりもあり、そこに集ってきた人々のエネルギーも詰まっている。
そうやって、つながりながら、遊びながら、広がりながら、無数のエネルギーが渦巻いているなあ、みたいなことを感じながら歩いていること自体が、とても楽しかった。
荒井良二さんの魅力はさまざまあるけれど、私は『こどもる』に象徴されるような、落書きタッチとも呼ばれるような自由な絵や、それといっしょに遊んでいるようなことばの世界にも、とても惹かれる。

会場を歩いていると、いろいろなところにそうしたタッチの生命体たちもちょこちょこと出没していて。ずっと眺めていたくなってしまう。



一方で、展示の序盤、荒井さんが25歳のときに作られたという私家版絵本の展示にもまた、いきなり心がつかまれて。
荒井さんが歩まれてきたこれまでの道のりに勝手に思いを馳せ、しずかに見入る。


そして、私が荒井良二さんという作家を認識し、ファンになったきっかけでもある『あさになったのでまどをあけますよ』(偕成社)の原画にも出会えたことも、大変にうれしかった。
初めての育児、授乳期にへとへとになりながら、いま考えたらずいぶんと孤独に子育てをしていた。どこかへふらっと出かけることもかなわなかった、あのころ。
美術館へ行くような時間が好きだったのに、そうしたひとり時間からすっかりと離れて、離れていることにも気付けないくらいつかれているなかで、たまたま図書館で手にとったこの一冊を家でひらいて、どれほど救われたことか。
このブログでも過去に『あさになったのでまどをあけますよ』を偏愛紹介している記事があるのだけれど、そのときの衝撃をこんなふうに書いている。
ああ、美術館だ。
当時のわたしの心境をひとことで言うなら、たぶんそれだ。
1ページ、1ページ。
ページをめくるごとに、美術館の中で、1枚、1枚、立ち止まって絵を眺めているような気分になった。心が洗われるってこういうことだ。そう思った。
ああ、ひさしくそんな体験、していなかった。
ここは美術館だ。うつくしいな。うつくしいな。
1枚1枚の大きな絵が、ほんとうに美しくて、きれいで。その中の世界を、筆の跡を、なめるように見つめた。ほんとうに、美術館で対峙しているときみたいに。

この日はその一枚一枚が実際に額装されたものを展示として眺め、「ああ、何年も前の自分が感動したのも無理はない」と思った。
ほんとうに、荒井さんの絵本は当時、私にとって「出張美術館」だったよ。社会と隔絶された部屋のなかで、絵本のなかに世界への広がりがあった。
すばらしい絵本を届けてくれて、ありがとうございます。

原画を眺めていて、下地として金色が塗られていることに初めて気づき、撮った写真。
そのときは知らなかったけれど、帰りにおみやげで買った荒井良二さんの著書『ぼくの絵本じゃあにぃ』(NHK出版)のなかに、その理由についても記述があり、“なるほど……おもしろいなあ!”となりました。気になる方はぜひそちらも読んでみてほしい。

こうした“展示会のメイキングシーン”的な展示もたくさんあり、その脳内を覗き見させてもらっているようで、とてもおもしろかった。
いま自分が歩いているこの空間は、どんなふうにできてきたのか。そこに至る過程もまた、じゃあにぃなのかもしれない。






色に圧倒され、自由に飛び回るみたいな落書きタッチのあの子たちに微笑み、荒井さんの手描きのキャプションに見入り、ワークショップで広がる世界に驚き、日記代わりに描いているという模写に再び圧倒され。
荒井さんのおっしゃるところの“居住まい正しい混沌”のなかで、心地よく酔っ払うみたいな、大満足の展示会でした。
このために新幹線代をけちらず神戸まで行って、本当によかった。
これからの作品や活動も、とても楽しみにしています。
▼ よろしければこちらもどうぞ
